J.S.バッハ

(いちばん下が最新記事)


バッハ 平均律クラヴィア 第一集/グレン・グールド

この曲に関してはグールド盤を最初に聴いたせいもあってか、いつでもこれが基本として馴染んでいる。一音一音の存在感が物凄い。一応これは20ビットCDが出たときに買い替えたものですが、今ではもっと音質の良いものが出回ってるかもしれません。

バッハ/ミサ曲 ロ短調(カール・リヒター指揮/1969)

69年のリヒターの伝説のライブ録音。ライブならではの熱気が凄い。キリエの荘厳さは圧倒的。特に1のCoro:Kyrie eleisonの10分42秒はエンドレスでずーっと聴き続けていたいほど。これはCD2枚組なんだけど、どうしても1枚目ばかりを聴いてしまう。やはり「キリエ」(take1~3)があまりにも強烈だからでしょうか。このミサ曲ロ短調に関しては近年はオリジナルの古楽による小編成のものが流行りだそうですが、このリヒターのように重厚なものの迫力はバッハが意図してなかろうがどうだろうが感動的。特にこのライブは合唱団がテンション高すぎで、まるでゴスペルのように熱狂的になってるけど、そこがまたヨシ。

バッハ 無伴奏チェロ組曲/アンナー・ビルスマ(1979)

バロック・チェロを使って演奏したビルスマの旧盤。骨格だけで出来ているようなシンプル極まりない曲だからこそ演奏者のすべてが曝け出されてしまうように思える。ビルスマはこの曲を「歌う」曲ではなく「語る」曲であるととらえている。古楽器で淡々と語られるバッハ無伴奏チェロ。主旋律だけでなくいくつもの旋律が同時に頭の中に流れるような感じ。

J.S.バッハ無伴奏チェロ組曲/鈴木秀美(1995)

バロック・チェロによる非常に美しい演奏。余計な贅肉、邪念、仕掛け等はすべて取り去り、曲の髄を抽出。鈴木秀美自身によるライナーも秀逸。『この曲の美しいハーモニー、不協和音の多くは実に、現実に弾かれている音と残響、聴く者の記憶との間に響いているのだ。』

バッハ 無伴奏チェロ組曲/アンナー・ビルスマ(1992)

ビルスマのバッハ無伴奏の新盤の方。語るように演奏していた旧盤からはがらっと変わり、どこかドラマティックな演奏。楽器も1669年製作のバロック・チェロから1701年製作のストラディヴァリに。とにかく音のニュアンスが全く違うけどどちらも素晴らしい。ビルスマの深いバッハは聴くたびに新しい。

バッハ :フーガの技法・イタリア協奏曲 /グレン・グールド

「フーガの技法」ではグールドがオルガンを弾いています。それにしてもこのオルガン、グールドの弾くピアノと同様にモノクロームな感触で、どこか乾いてます。テンポも早く、いかにもグールド的。そして明るい雰囲気で始まる「イタリア協奏曲」では出だしからアクセントの強い奏法で曲の輪郭をクッキリと表現。

バッハ:パルティータ No.1~3 /グレン・グールド

1番の冒頭のさりげない入り方からグイっと引き込まれてしまう。徐々にいつものようにアクセントが強めで乾いたノリになっていきます。湿った現実を一瞬にして乾燥させてしまうような音。

J.S.バッハ・2声のインヴェンション、3声のインベンション、4つのデュエット、半音階的幻想曲とフーガ/アンドラーシュ・シフ(p)

さりげない曲をさりげなく演奏。さりげないとはいえ実に瑞々しいタッチのピアノ。シフのバッハはなんだか落ち着きます。音質も良く、言う事なし。

J.S.バッハ・2声のインヴェンション、3声のインベンション、4つのデュエット/ピーター・ゼルキン(p)

ゆったりとしたテンポで大股で歩くかのような演奏。どこか悟りきったような風情が頼もしい。

J.S.バッハ平均律クラヴィア第一集/エドウィン(エトヴィン)・フィッシャー(p)

言うまでもなく歴史的名演。チェンバロの持つスピード感や軽やかさをうまい具合にピアノに置き換え、なお且つピアノならではの表情の豊かさを失わない実に素晴らしい演奏。

J.S.バッハ・ゴールドベルク変奏曲/アンドラーシュ・シフ(p)

くり返しヴァージョンのゴールドベルク。ECMから。シフ、2度目のゴールドベルクのアルバムでライブ録音。シフのタッチのせいか録音のせいか時折ロココっぽく聴こえることがあります。

J.S.バッハ・ゴールドベルク変奏曲/グレン・グールド(1959年)

グールドのゴールドベルク。1959年ザルツブルク音楽祭でのライブ録音。55年の録音よりもやや勢いにまかせて弾いているというか…、ライブならではのサービス精神のようなものが感じられます。ホール中に聞こえるようにするためなのか、所々アクセントが強めなのが印象的。

J.S.バッハ・無伴奏チェロ組曲/ロストロポーヴィッチ(1992)

これはちょっと凄いです。第1番なんかスピードがあるのにキメが細かく、どの瞬間を取っても密度が非常に濃い。一見あっさりと聴こえる中に物凄い情報量が込められているかのよう。第5番のサラバンドは時間感覚が麻痺しそうなくらいの悠久的流れ。深い。

バッハ:パルティータ/クラウディオ・アラウ(1993)

アラウの最後の録音。まさに行雲流水。こだわりの全く無い、まっさらな演奏。あまりにも素直なこの演奏を聴くと、もうアラウはアラウである必要もなかったんだなあ、という感慨に打たれる。

バッハ 平均律クラヴィア/スヴャトスラフ・リヒテル(p)

「聴かせる」平均律。どうもBGM的に聴けない。あまりの音の存在感についつい耳がこっちに向いてしまって、「ながら聴き」ってのが出来ない。つまりはそれほどまでに強烈。そして聴き込むほどに深い内容。

バッハ平均律クラヴィア第一集/アンドラーシュ・シフ

シフの平均律は音の流れが実に自然、且つ細やかです。バッハ弾きとしてはグールド以来の逸材と言われたシフの真骨頂。

バッハ・イギリス組曲/アンドラーシュ・シフ(p)

シフの「バッハ・インヴェンション」とともに、このイギリス組曲は何故だか聴く機会が多いアルバム。よほど肌に合うのだろうか。普段さりげなくBGMとして流れています。だもんでじっくりと聴いた記憶が無い。きっと今後もそういう聞き方で聴くアルバムだと思います。これはさりげなく流れているのが心地いい。でも内容的にはすごく濃い。

バッハ 無伴奏チェロ組曲 1-3/ 清水靖明

テナーサックスによるバッハ無伴奏チェロ組曲集。フュージョン系サックス奏者清水靖明の「本業」には興味ないのですが、これはかなり面白い。

バッハ 無伴奏チェロ組曲/ パブロ・カザルス(1938ー39)

たぶんこの曲で一番有名な演奏。何回聴いても深さに圧倒されます。現在では音質の良さで定評のオーパス蔵盤やナクソスの廉価盤などでも出ています。

バッハ/ゴールドベルク変奏曲/カナディアン・ブラス CANADIAN BRASS)

ブラス5人による演奏。冬の日の朝の透き通った空気のような、凛とした音の響き。

バッハ/オルゲル・ビュッヒライン(オルガン小曲集)/サイモン・プレストン

短い曲ばかりとはいえラウンジテイストすら感じる響きが美しい。パイプオルガンの荘厳な響きにバッハがあまりにもハマっている。

バッハ/ゴールドベルク変奏曲/ヘルムート・ヴァルヒャ

アンマー・チェンバロによる演奏。バッハにすべてを捧げたようなヴァルヒャの演奏はどこか背筋がピンとしてて意外なほど爽やか。このゴールドベルクはなんとなく明るい印象。でもチェンバロの甲高いような音色は繰り返し聴く気にはならないのが辛いところか。

バッハ/平均律クラヴィア第二集/フリードリヒ・グルダ

独特のノリと柔らかさ、そしてこの細やかさ。グルダの平均律は聴きごたえ十分。11番プレリュードの歌わせ方がイイ。

バッハ ゴールドベルク変奏曲/アンドラーシュ・シフ

一度目の録音の方です。1982年録音。シフらしい丹念な音の紡ぎ方。全く奇をてらわないさりげない演奏であるにもかかわらず魅力があるのは微妙なニュアンスの付け方が素晴らしいからか。所々オクターブ上げてみたり面白い即興があったりする。

バッハ/リュート作品集(リュート組曲ホ短調、リュート組曲ハ短調、リュート組曲ト短調、前奏曲フーガとアレグロ変ホ長調)/ナルシソ・イエペス(g)

イエペスがバロック・リュートを弾くアルバム。落ち着きます。精神安定剤のような存在。音のレンジの狭いバロック・リュートだからなのか、やさしい音色で暖かみを感じます。

バッハ/フランス組曲第六番、イタリア協奏曲、プレリュードとフーガ・イ短調、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第二番、平均律クラヴィア組曲第一集よりプレリュードとフーガ第一番/ ファジル・サイ

なんとも元気のいいバッハ。ファジル・サイの歯切れの良いピアノはかなりの快感。こういったバラバラな選曲だけではなく、平均律やフランス組曲の全曲版を録音してほしい。平均律1番のプレリュードがリヒテル的なのが実に興味深い。

バッハ/バックハウス・バッハ・リサイタル(イギリス組曲第六番、フランス組曲第5番、平均律クラヴィア組曲第1集・第15番、平均律クラヴィア組曲第2集・第39番)/ヴィルヘルム・バックハウス

いかにもバックハウスらしいバッハです。なんだか聴き慣れたベートーベンのソナタでも聴いてる錯覚に落ち入りそうになるのが面白い。例のごとく芯の一本通った音で細かい部分を気にせずザックザックと進めていく様が味わい深い。

バッハ 平均律クラヴィア組曲第二集/グレン・グールド


グールドの平均律第二集。ピアノがパキパキと鳴る様は快感。色彩感が無くモノトーンな感触もこれまた快感。

バッハ 無伴奏チェロ組曲(ギター版)/アンドレアス・フォン・ワンゲンハイム(g)

ギターによる無伴奏チェロ組曲。曲の歌わせ方が実に自然です。ガットギターの響きもとてもいい。CD1が3番、1番、4番、CD2が2番、6番、5番、という順になってますが、この流れが意外によくて、CD2枚一気に聴かせてしまいます。このアルバムとともに静かな時間を過ごします。

バッハ/ゴルドベルク・ヴァリエイションズ(弦楽合奏版) シトコヴェツキー(コンサートマスター)ニュー・ヨーロピアン・ストリングス

鍵盤曲の弦楽合奏版ということで多少珍盤的な色合いもありますが、これがなかなか良い。ゴールドベルクのイージーリスニング的解釈、なんて言ったら失礼か。こうやって弦楽合奏で聴くと何故か曲自体の素晴らしさが浮き彫りになってくるようです。

DINU LIPATTI PLAYS BACH /ディヌ・ リパッティ

リパッティがピアノで弾いたJ.S.バッハ音源のほとんどすべてを収録した優れものCD(ここにブザンソンの音源と47年録音のコラールとカンタータでリパッティの弾いたバッハはコンプリートでしょうか。ただ、その3曲はこのCDにも入ってる曲目なので、このCDで十分)。一家に一枚のマスト盤。端整で瑞々しいリパッティのピアノを味わうにはショパンやグリーグのコンチェルト等の方が分かりやすいかもしれないけど、リパッティのバッハは特別。

J.S.バッハ・リサイタル/エドウィン・フィッシャー

このレコード、なんだか妙に落ち着く。精神的にダウン気味のときに復活のきっかけを与えてくれるような、あるいは疲れ気味のときにパワーを与えてくれるような、そんな存在。また、気分のいい日にもさらに気分を清々しくしてくれるような存在でもあります。このレコードのライナーにはフィッシャーの演奏は「ひとつひとつの音符に籠められたバッハの精神の動きを復興することを目的とした演奏」だなんて大袈裟なことが書いてありますが、たしかにそんなことも言いたくなるような入り込み方。リパッティの演奏のような客観性を持ちつつも、曲の中に入り込み曲そのものになっているようなフィッシャーの姿が見えるかのよう。

J.S.バッハ 平均律クラヴィア全集(第1集&2集)/エドウィン・フィッシャー

ザックリとしたピアノの魅力とでもいうんでしょうか。神経質なほど繊細なピアノからは決して得ることの出来ない限りない魅力。雑ということではなく、堂々とした自信に溢れたような大胆さ。流れるようなテンポでさらりと弾いたりするので細部がぼやけることもあるけど、そういった曲の崩し方こそフィッシャーの味。このフィッシャーの平均律は自分が年寄りになってもずっと聴いていたい。ちなみにこれはEMIではなくDOCUMENTSレーベルからの廉価盤CD3枚組。他にNAXOS盤も出ている。個人的に最も好きな平均律。

J.S.バッハ 平均律クラヴィア組曲 第一集/キース・ジャレット(p)

「フェイシング・ユー」以降実にいろいろなパターンでのピアノソロ作品を発表しつづけてきたキースがバッハの平均律を前にすると物凄く真面目になるというのもなんだか面白い。変わったことをするでもなく、誰かの演奏をふまえて解釈するわけでもなく、ジャズ畑にいることを強調するわけでもなく、ただただ普通に演奏されたキースの平均律。ピアノを前にして自然体であることに専念したのか、あるいはバッハを前にすると自然とこうなってしまうのか。ほんの少しだけキースらしい即興性がある(第5番のフーガとか)にはあるけど、あとはごく自然な平均律。クセの無い平均律って、あるようで無いような気がするけど、このアルバムのニュートラルさと客観性はかなり好感が持てます。ひょっとしてマンフレッド・アイヒャーはこういったものこそを作りたかったのではないかなんて勘ぐってみたり。 

J.S.バッハ イギリス組曲/グレン・グールド

このレコード・ジャケットの表面と裏面…、どうもグールドのジャケは変なものが多いような気がするのだが…(笑)。 疾走するドライヴ感はポゴレリッチと双璧か。

J.S.バッハ 平均律クラヴィア組曲(全曲)/ロザリン・テューレック(p)

バッハ研究家として知られるロザリン・テューレック女史の1952-53年のDECCA録音。そしてこの平均律の音源はあのグールドが平均律を弾く際に唯一参考にしたということでも有名。ライナーにロザリン・テューレック自身による詳細な解説がある。遅めのテンポを取り一音一音を確かめるかのように進んでいく様はちょっと異様な程。神聖なものの中に潜むディモーニッシュな要素を垣間見る。ただ、あまりにコアなので、こればかりずっと聴いてるのはちょっと辛いか。少しずつ聴くってくらいがちょうど良い。 

J.S.バッハ名曲集/アルフレッド・ブレンデル

ブレンデルの珍しいバッハ演奏集です。エドウィン・フィッシャー直系ではありますが、ブレンデルのバッハは実に柔らかく、情感豊か。バッハのロマン主義的解釈とでもいうんでしょうか。イタリア協奏曲での流れるような軽やかさは、バッハの構築的音楽のイメージからはかけ離れているようにも感じるけど、そこがブレンデルならではの面白さ。

J.S.バッハ ゴールドベルク変奏曲 1955/グレン・グールド

1955年録音のグールドのコロムビア・デビュー作。1981年版も名作だけど、この1955年版のインパクトはただごとではない。特に他のアーチストのゴールドベルクをいろいろ聴いた後にこれを聴くと、この疾走感にビックリする。遅いテンポを取るところでも何やら得体の知れない疾走感がある。発売当初は「ジャズ的」だなんていう見当違いな批評もあったそうだが、言いたいことはよく分かる。緻密でありながらもスピードがあって、聴いてる方は頭の中をぐるぐると揺らさせるような感じ。グールドのバッハの中でも別格の存在。

J.S.バッハ ゴールドベルク変奏曲/JOSEF EOTVOS (g)

ギターによるゴールドベルク。ゆったりとしたテンポをとってじっくりと進みます。ギターなのにまるで違和感が無い…(笑)。不思議なくらいハマっています。ピアノほどの重さはなく、チェンバロほどの甲高さもなく、意外にこれくらいがちょうど良いのではないか、などと思ってしまうほど。ガットギターの音色が好きな自分としては、これは本当にたまらない音源。 

J.S.バッハ作品のピアノ編曲集

セルゲイ・ラフマニノフ編曲:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第3番 ホ長調 BWV.1006/セルゲイ・ラフマニノフ(p)
アルフレッド・コルトー編曲:チェンバロ協奏曲 ヘ短調 BWV.1056~アリア(ラルゴ)/アルフレッド・コルトー(p)
カール・タウジヒ編曲(ベヒシュタイン製2段鍵盤ピアノのためのエマヌエル・ムーアによる補筆):トッカータとフーガ ニ短調 BWV.565/ウィニフリート・クリスティ(p)
メリー・ハウ編曲:誕生日のカンタータ「陽気な狩こそわが楽しみ」BWV.208~「羊は安らかに草を食み」/エセル・バートレット(p)&ラエ・ロバートソン(p)
オルガ・サマロフ編曲:フーガ ト短調 BWV.578/オルガ・サマロフ(p)/
ウォルター・ランメル編曲: カンタータ第4番「キリストは死の絆につきたまえり」BWV.4~「イエス・キリスト、神のみ子」/ジョージ・コープランド(p)
ハリエット・コーエン編曲: カンタータ 第22番「イエスは十二使徒をひき寄せたまえり」BWV.22~コラール「汝の善行により我らを浄めたまえ」/ハリエット・コーエン(p)
アレクサンドル・ケルベリン編曲: オルガンのためのコラール編曲 第14曲「わが心の切なる願い」BWV.727/アレクサンドル・ケルベリン(p)
マイラ・ヘス編曲: カンタータ 第147番「心と口と行いと命もて」BWV.147~「主よ、人の望みの喜びよ」/ワルター・ギーゼキング(p)
クラランス・ルーカス編曲: クリスマス・オラトリオ BWV.248~パストラール/ヴィルヘルム・バックハウス(p)
フランツ・リスト編曲: 前奏曲とフーガ イ短調 BWV.643/バイロン・ジャニス(p)
フェルッチョ・ブゾーニ編曲: トッカータ・アダージョとフーガ ハ長調BWV.564](1925年-1947年)アルトゥール・ルービンシュタイン(p)

戦前の巨匠ピアニストたちによるバッハのピアノ編曲集。いろいろなピアニストを聴き比べることが出来るというだけでも貴重か。コルトーのオシャレな演奏とギーゼキングのインパクトある演奏(リパッティが同じ曲を録音しているので聴き比べるのも面白い)が目立ちます。また、ルービンシュタインというのは本当に圧倒的だったんだなあ、なんてことも分かります。にしても、こうやってピアノ編曲版にしてみると、いかにバッハのメロディラインが奇麗なのかってことが分かりますね。

J.S.バッハ 平均律クラヴィア(第一集)Vol.1 & 2/ジョン・ルイス
 
ジョン・ルイス(p)ジョエル・レスター(vin)ロイス・マーティン(viola)ハワード・コリンズ(g)マーク・ジョンソン(b)

単にジャズマンがバッハの平均律を弾きましたっていうんじゃなく、ちゃんとアドリブパートも作ってジャズにしちゃってます。プレリュードをジョン・ルイスひとりで弾き、フーガで他のメンバーも加わるという形式。ジョン・ルイスのピアノタッチもかなり変化してて、かつての「ジョン・ルイス・ピアノ」(1956年)に見られるような黒々としたタッチは影を潜め、 繊細でエレガントなタッチになっています。クラシックファン、ジャズファンの双方から敬遠される典型かもしれませんが、とりあえずこの曲が好きな人なら聴けるかと。 

J.S.バッハ 平均律クラヴィア(全曲)/ワルター・ギーゼキング

神経質なところが全くなく、むしろ大雑把とでも言いたくなるほどの奔放さが魅力となっている。客観的という点ではナンバーワンか。どんな気分のときにも対応出来るので結構重宝するわけだけど、マニア以外は手を出さない方がいいかもしれない。ギーゼキングの演奏スタイルの歴史的意義などはともかく、現代の耳で聴くと慣れるまでに相当の耳のシフトチェンジが必要かも。がしかし、これに入り込めればギーゼキングでしか味わえない開放感が…。1950年の録音だというのにフィッシャー盤より音が悪いというのが玉に傷ってところか。 

J.S.バッハ イギリス組曲(全曲)/アナトリー・ヴェデルニコフ

思わせぶりなところがなくサクサクと進むイギリス組曲です。ヴェデルニコフのピアノはハキハキとして歯切れが良い。アッパー系のバッハなので聴いてて元気になる(笑)。バッハは妙に深刻な演奏よりもこういったものの方が自然と聴く機会が多くなります。仲がよかったというリヒテルに比べると録音物が異常なほど少ないヴェデルニコフですが、バッハのイギリス組曲全曲とパルティータ全曲の2つの録音があるのはうれしいこと。個人的には、師匠のネイガウスも録音しているショパンのP協1番なんかも聴きたかった…。デビュー当時のキーシンのような摩訶不思議な演奏になると思うのだが…。 

J.S.バッハ 平均律クラヴィア(抜粋)/ハンス・ピシュナー(Cembalo)

ゴリゴリとしてていいです。この楽器、大丈夫か?などと思ってしまうのだが。なんだか聴いてて壊れそうな感じがするもので…。それはさておき、チェンバロでのバッハ演奏ってのはBGM程度にしか聴かないわけです。このハンス・ピシュナーのチェンバロ演奏も僕はそんな程度の距離を保って聴いてます。でも、そうやって聴いているうちに、いつしか突然物凄くイイ演奏に聴こえてきたりすることがある。ピアノの平均律に慣れた耳で突然こういうの聴くと、楽器の不安定さからか、なんだか不意に音に集中。いや、本当に壊れそうな気になってくるもんで…(笑)。

J.S.バッハ フランス組曲(Vol.1.)1~4番(Vol.2.)5~6番、フランス風序曲/グレン・グールド
 
おもしろジャケットが味わい深い。グールドは力強いノンレガートのパサパサした乾燥した演奏。所々装飾音をつけつつ、例のごとく左手のハッキリした音で右手と対等に音を主張する。左手の音がこれだけハッキリ主張しているところがグールドならではの特徴で、他のピアニストからは得られない快感でもあります。グールドの演奏が飽きずに何度でも聴けるわけはどうやらこのあたりにありそうだと思うのですが。レコード・アーティストとして活動していたグールドのこと、これもまた計算のうちだったのでしょうか。Vol.2.のA面が特に好き。

J.S.バッハ パルティータ全曲/アナトリー・ヴェデルニコフ

もし、バッハのパルティータをヴェデルニコフの演奏でしか聴いた事が無いという人がいたとしたら(居ないだろうが…)、1番などはなんて爽やかな曲なんだと思うことだろう。出だしのタッチの柔らかさとテンポ設定の絶妙さ。まるでベートーヴェンのヴァイオリンソナタ5番のような「春」気分ではないか。深刻なメロディーラインで始まる2番でさえも決してダウナー系にはせず、ハキハキとしたタッチでさりげなく聴かせてしまう。 

J.S.バッハ・ピアノ・リサイタル/エドウィン・フィッシャー

以前ここで紹介したフィッシャーのLP「J.S.バッハ・リサイタル」に、15分に及ぶ「前奏曲とフーガ変ホ長調」を追加して出たCD。これがまたイイ演奏。何度聴いても素晴らしいアルバム。ちなみにその後このCDにさらに1曲追加したものが「新星堂オリジナル企画/エドウィン・フィッシャ-の芸術/全25タイトル」のひとつとして出ました(もう廃盤)。

J.S.バッハ 協奏曲集(ピアノ協奏曲1番、4番、5番、ブランデンブルグ協奏曲5番)/エドウィン・フィッシャー

どっしりとした重厚な演奏でありながら、フットワークの軽さも感じます。細かい部分は勢いで流すというフィッシャー流のピアノ。バッハのピアノ協奏曲はそれほど好きな曲ではないけど、こういうものなら聴けます。

J.S.バッハ トッカータ・ハ短調、パルティータ2番、イギリス組曲2番/マルタ・アルゲリッチ

まるでショパンのピアノソナタ2番のようなドラマティックなバッハ。怒濤のバッハというか、怨念のバッハというか。いかにもアルゲリッチらしい演奏。リズム感が独特。ラテン的。

J.S.バッハ イギリス組曲第2番&第3番 / ポゴレリッチ

この曲の最上の演奏のうちのひとつ。ポゴレリッチ全盛期の演奏。スウィング感は他に類が無い。

J.S.Bach 6 Cello Suites / Casals (1936-39)

EMIのものではなくオーパス蔵から出てるもの。SP盤からの復刻。これはかなりいい。


(文:信田照幸)


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