TRUMPET (その2)


THAD JONES / The Magnificent Thad Jones (1956/blue note)

サド・ジョーンズ(tp)ビリー・ミッチェル(ts)バリー・ハリス(p)パーシー・ヒース(b)マックス・ローチ(ds)

言わずと知れた名盤。一曲目にベイシーの18番を持ってくるところがなんともいいですね。スカスカの音空間がとてもよくて、ローチのセンスが光ります。ピアノがバリー・ハリスってところも個人的に気に入ってます。文句なしの無人島盤候補。大好きすぎて他に何も書けません。

DIZZY GILLESPIE / Groovin' Hight (1945/savoy)
これこそビバップ!全部の楽器がパラパラいってて踊ってる感じ。サヴォイってレーベルはアルバム単位になるといまいちまとまりが悪いんだけど、このアルバムは結構まとまってて好きです。

RUBY BRAFF / Bravura Eloquence (1988/concord)
Ruby Braff (cornet) Howard Alden (g) Jack Lesberg (b)
ワンホーントリオのアルバムって結構好きなのです。コンコードのものでカール・E・ジェファーソンのプロデュースのものなら絶対買いです。だってギターが入ってます(というか僕がギター好きなもんで…)。カール・E・ジェファーソンのギター好きは本当に相当なもので、コンコード初期のカタログはほとんど全部ギターもの。ワンホーントリオでコンコードってば、当HPでも紹介してますが、トロンボーン奏者ロブ・マッコーネルの「Trio Sketches」なんかもギターとベースを従えてのワンホーントリオのアルバムでした。さてさてこのアルバムですが、中間派のルビー・ブラフの伸びのあるコルネットが非常に良い音で録音されてましてなかなか聴きやすいのです。そんで、やはりワンホーントリオってことで3人のやりとりが非常に面白い。カール・E・ジェファーソンがプロデュースなもんで、言うまでもなくギターが素晴らしい。ギターのハワード・アルデンはこの時期のコンコードのハウス・ギタリストで、僕はかなり好きでアルバムなんかも揃えてたりします。保守的ですがギター好きにはたまらないギタリストです。そのギターとコルネットとの絶妙な絡み合い、そしてそれをささえるベース、なんともなごみ系の一枚です。

DUSKO GOYKOVICH / After Hours (enja/1971)

ダスコ・ゴイコヴィッチ(tp)テテ・モントリュー(p)ロブ・ランゲリース(b)ジョー・ナイ(ds)
スペインで録音されたこのアルバム、ピアノのテテがかなり効いています。ダスコ・ゴイコヴィッチの端正でありながらもアイデアに溢れるトランペットは文句ナシ。1曲目での「ずどどど~」って突進していくようなリズムセクションが快感です。

WYNTON MARSALIS / J Mood (1985/CBS)
ウイントン・マルサリス(tp)マーカス・ロバーツ(p)ボブ・ハースト(b)ジェフ・ワッツ(ds)

ウイントンに関してはニューオーリンズの匂いのするものは全く聴く気になれません。正直キツイ。がしかし、ワンホーンのものはかなり聴けます。なんか朝のBGM(夜のBGMでも可)にピッタリって感じです。イージーリスニングです。ウイントンはニニ・ロッソみたいにイージー・リスニングをやった方がその資質にピッタリだったかも。ウイントンのアルバムのBGM度が高い理由にウイントンの独特のプレイスタイルがあげられます。普通のジャズとはちょっと違って、音そのものへの感情移入がしにくいのです。楽器を肉声としてとらえるそれまでのジャズ観ではとらえることの出来ない領域とでもいうようなものを作り上げたかのようです。これには完璧なテクニックによる裏付けとクラシック出身という出自が大きく関係しているようですが、誰にでもわかるのはその音のクールな感触。つまり体で感じるっていうのを拒否するかのような音の感触。この感触はジャズメッセンジャーズの頃から変わってません。この感触があるからこそサラっと聴けるのであり、かつBGMのように流して聴けてしまう。アドリブのスタイルに関してはジャズメッセンジャーズ時代とはうって変わって、余裕のある間の取り方。アドリブラインがさらに無機質っぽくなってきていますが音そのものには表情が少しみえています。ここらへんウイントンはソロになってから徐々に変えていきました。僕は特別ウイントンのファンっていうわけじゃありませんが、このようなアルバムをたまに無性に聴きたくなるときがあるのです。だって僕はイージーリスニング大好きだし…。

DIZZY GILLESPIE / Gillespiana/Carnegie Hall Concert(1960、1961/verve)
ディジー・ガレスピー・ビッグバンドの2 in 1。ラロ・シフリンの作編曲による大作「ガレスピアーナ」は変化に富んでいてなかなか面白い。ディジーは普通にラフなバップをやってるときの方が好きなんだけど、こういった大作でもいつもの硬質でパワフルな音が楽しめます。作編曲を担当したラロ・シフリン自身のピアノはまるで全体をまとめるかのような感じに聞こえます。1960年というジャズ激動の時期に何故ディジーはこういうコンサート音楽スタイルの方向に行ったのかはよく分かりませんが、今の目で見れば流行りに関係ない所で活動していたディジーの孤高の存在感さえ感じてしまいます。「カーネギーホール・コンサート」のほうは「ガレスピアーナ」のメンバー達によるライブ編です。

KENNY DORHAM / 'Round About Midnight At The Cafe Bohemia (1956/BLUENOTE)
ケニー・ドーハム(tp)J.R.モンテローズ(ts)ボビー・ティモンズ(p)ケニー・バレル(g)サム・ジョーンズ(b)アーサー・エッジヒル(ds)
イーストコーストのジャズが最も熱かった時代の雰囲気をそのまま伝えてくれるライブアルバム。A面の冒頭、始まり方がちょっと堅苦しくて(キャノンボール「サムシング・エルス」での「枯葉」みたいな感じ)ちょっと「あれ?」って感じですが、すぐにテンポが変わりバップのノリに。この快感がたまりません。僕はこのレコードのB面の「ニューヨークの秋」が凄く好きで、これが聴きたいがためにA面から通して聴きます。また、A-3での徐々にエキサイトしていくドーハム~つられてノリが良いモンテローズ~2日前のBNでの初リーダー作の勢いそのままのバレル、というソロの流れもこれまた快感。B面ラストはかつてドーハムがいたパーカーのコンボでのようなビバップの熱い勢いのある演奏。この1956年という時代の空気は、どんな演奏でも名演にしてしまうようなマジックがあるような気がしてしまいます。

KENNY DORHAM /Trompeta Toccata (1964/BLUENOTE)
ケニー・ドーハム(tp)ジョー・ヘンダーソン(ts)トミー・フラナガン(p)リチャード・デイヴィス(b)アルバート・ヒース(ds)
どことなくドーハムの影が薄く感じるのはジョー・ヘンダーソンのアクが強すぎるからでしょうか。派手さのないドーハムはこの新主流派の波に飲み込まれるかのように影が薄くなっていきます。しかしながら、リー・モーガンにもフレディ・ハバードにもない絶妙な味があることも確か。本作は「ウナ・マス」(63年)のようなキャッチーさはないものの、「ウナ・マス」でトニーについうっかりのせられてたドーハムがふと我に帰り自分自身のプレイをしてみたって感じのアルバムです。

WYNTON MARSALIS /MARSALIS STANDARD TIME Vol.1(1986/columbia)

ウイントン・マルサリス(tp)マーカス・ロバーツ(p)ロバート・ハースト(b)ジェフ・ワッツ(ds)
ディジー・ガレスピーの「音」っていうのはいつでも小躍りしているのに、ウイントンのトランペットっていうのは踊ることはなくて涼しい顔。このアルバムのジャケ写真のようにどこかかしこまっているような感じなのだ。このアルバムでもそれは変わらない。そして、このクールな感触でジャズのスタンダード曲をやるとこれがピタっとハマってかっこいいのです。妙な感情移入が感じられないだけ映像的な音楽になっていて、まさに都会的雰囲気を満喫できます。イージーリスニングです。マーカス・ロバーツのセンスが光ります。冒頭の2曲が大好きで、よく聴きます。3曲目のチェロキーの高速アドリブは脳の中のかゆい部分をかいてくれるかのような快感が…。ウイントンのアルバムの中ではいちばん好き。

WYNTON MARSARLIS /Standard Time Vol.2 (1987-90/columbia)

ウィントン・マルサリス(tp)マーカス・ロバーツ(p)レジナルド・ヴィール(b)ロバート・ハースト(b)ジェフ・ワツ(ds)他

「スタンダード・タイムVol.1」という名盤の続編がこのアルバム。Vol.1よりは落ち着いた表情の作品です。Vol.1が「春」ならこっちは「秋」といった感じ。60年代マイルスのスタイルでグループ表現をしてみたらイージーリスニングになっちゃった、という感じのウィントンですが、こういう素晴らしいアルバムがあるんだから日本でも人気が出てもよさそうなもんですが。

ERIK TRUFFAZ / Bending New Corners (1999/blue note france)

エリック・トルファズ(tp)パトリック・ミュラー(p,Fender Rhodes)マルチェロ・ジュリアーニ(b)マーク・エルベッタ(ds)Nya(vo)
エリック・トルファズは非常に地味なトランペッターで、音色もまるくフレーズもゆったりとしてるため全体のサウンドの中にトランペットが埋没してしまう感じです。しかしこれはあえてこうやってるのであって、エリック・トルファズのアルバムは個々のプレイを聴くというよりもトータルでのサウンドを聴くという作りになっています。パーカッシブで軽いドラムとローズで作り上げたどこかフューチャー・ジャズ的感触の中をトランペットが浮遊している印象。ラウンジ・ミュージックとして聴くとピッタリはまるかも。7曲目はアート・ファーマーの「To Sweden With Love」に入っててもおかしくないような「北欧」気分の曲。スイス録音だからこうなったってわけでもなく、きっとこれがエリック・トルファズの自然な姿だと思うのですが、どうでしょう。

ENRICO RAVA / Easy Living(2004/ECM)

エンリコ・ラヴァ(tp)ジャンルカ・ペトレーラ(tb)ステファノ・ボラーニ(p)ロザリオ・ボナコルソ(b)ロベルトガット(ds)
ECMらしからぬジャケで登場のエンリコ・ラヴァ。この人は70年代からECMに何枚もアルバムを残しています。僕の好きなエンリコ・ラヴァは66年の「Forest And The Zoo」(ESP/Steve Lacy)なんですが、その頃と比べるとすっかり別人のよう。でもこういう変わり方ならアリか。さて、このアルバムはいつもよりリバーブが深いものの、トランペットの鳴りがすごく良くて、気持ちいい。全体的に落ち着いたトーンでまとめています。一曲をのぞいてすべて自作曲ってところも力が入ってていい。また、tbのジャンルカ・ペトレーラもかなり良く、つい耳がそっちへ行ってしまいます。

WOODY SHAW / Love Dance(1975/muse)
ウッディ・ショウ(tp)スティーヴ・ターレ(tb)ルネ・マクリーン(ss,as)ビリー・ハーパー(ts)ジョー・ボナー(p)セシル・マクビー(b)ヴィクター・ルイス(ds)ギレルミ・フランコ(per)トニー・ウォーターズ(congas)
ウッディ・ショウのプレイだけでなくアレンジも光る力作。このメンバーを見ただけで熱さが伝わってきそうですが、実際熱い。渾沌とした70年代前半をやや引きずりつつも、ややまとまりを見せてきた時代の雰囲気を感じます。とはいえアルバム全体に漂う熱気はただ事ではなく、物凄いエネルギーです。僕はB-1が特にお気に入り。スティーヴ・ターレのあやしいtbと他のホーンとの掛け合いではじまる所なんかまるでクインシー・ジョーンズのサントラ盤のように怪しさ満点。計算されたアレンジの中に各ソロがあり、なかなか引き締まった作りの曲です。B-2のアップテンポの曲もウッディ・ショウのバッパーとしての素晴らしさを感じとれるものになってます。

DONALD BYRD / Byrd In Paris vol.1 & vol.2 (1958)
ドナルド・バード(tp)ボビー・ジャスパー(ts,fl)ウォルター・デイビスJr(p)ダグ・ワトキンス(b)アート・テイラー(ds)1958年録音

この録音年代でこの面子…、悪いはずがなかろう。特にボビー・ジャスパーとウォルター・デイビスJr。素晴らしい。CD2枚分たっぷりと、このハードバップの権化を化した面々のプレイを堪能出来ます。ボビー・ジャスパーってこんなにも魅力があったのか?っていうのが全体を通しての印象。全部テナーで通して欲しかったほど。ドナルド・バードは余裕しゃくしゃくのプレイ…と思いきや聞き進んでいくうちに熱いプレイに。ブラウン=ローチ・クインテットを念頭に置いたかのようなParisian Thoroughfareなんかも熱い。ちなみにこれのオリジナル盤はレア盤としても有名で、かつて某レコードショップの壁に超高値がついて飾ってありました。

DONALD BYRD / Kofi (1969-70/blue note)
ドナルド・バード(tp)デューク・ピアソン(p,el-p)アイアート(ds)ミッキー・ロッカー(ds)フランク・フォスター(ts)ドン・ウン・ロマン(per)ウィリアム・キャンベル(tb)ロン・カーター(b)ボブ・クランショウ(el-b)他
時期的には69年のセッション(A面)が「ファンシー・フリー」の半年後、70年のセッション(B面)が「エレクトリック・バード」の半年後ってことになります。「ファンシー・フリー」で見せた心地よい「ブラック・バード」路線はここではとりあえず横に置いていおて、ここではそれまでの「スロー・ドラッグ」路線でカッコよく決めよう…といった感じです。とはいえ、「スロウ・ドラッグ」のようなクールネスよりも、ギラギラとみなぎる熱いエネルギーの方が自然に出てきてしまっているよう。どこか当時の熱いブラック・ジャズの匂いがします。

ERIK TRUFFAZ QUARTET/the mask (2000/blue nota france)

エリック・トラファズ(tp)パトリック・ミュラー(Fender Rhodes, p)マルチェロ・ジュリアーニ(b)マーク・エルベッタ(ds)
Bending New Cornersの1年後に出たこのアルバム。実は99年のBending New Cornersってのは、本作のカルテット演奏を元にリミックスしたりして出来たものだったのでした(曲目だってほぼ一緒)。このthe maskが元々のオリジナル演奏。なんでこんなややこしいことをするのかは謎ですが、それほどこのアルバムの出来がよかったということなんでしょうか?決して熱くならないエリック・トラファズのトランペットがどこか映像的。また、フェンダーローズの使い方が「フューチャー」感を出していて、なかなか心地よい感じになってます。この感触、マイルスの「キリマンジャロ」が原点です。

BILL BERRY /Shortcake (1978/concord)

ビル・ベリー(cor,vib)マーシャル・ロイヤル(as,clarinet)ルー・タバキン(ts、fl)ビル・ワトラス(tb)マンデル・ロウ(g)アラン・ブロードベント(p)デイブ・フリッシュバーグ(p)チャック・ベルゴファー(b)モンティ・バッドウィグ(b)フランク・キャップ(ds)ニック・セロリ(ds)

エリントニアンのコルネット奏者ビル・ベリーのコンコードからのアルバム。とにかくA面1曲目が素晴らし過ぎ。このスウィング感はとてもエリントニアンとは思えない(笑)。ベイシーばりの物凄いノリ。正直この1曲だけで買う価値アリです。A面3曲目ではビル・ベリーがヴィブラフォンを弾いておりまして、これまた素晴らしい。全体的にややモダン寄りの中間派といった様相。ギターのマンデル・ロウが「モダン度」を高めています。ある意味コンコードの典型的な1枚と言えるかもしれません。

WYNTON MARSALIS /the magic hour (2004/blue note)

ウィントン・マルサリス(tp)エリック・ルイス(p)カルロス・エンリケス(b)アリ・ジャクソン(ds)
take1: ダイアン・リーヴス(vo)、take4: ボビー・マクファーリン(vo)
ウィントン・マルサリス、ブルーノート移籍第1弾アルバムです。意表をついてヴォーカル曲のスロー・ブルースで始まります。ウィントンにしては随分ゆるい印象のアルバムです。原因はリズム。また、ピアノの奇妙さもゆるい原因のひとつ。しかし、その「ゆるさ」のおかげでかつての頭デッカチ感はどこかに消えました。憑き物が落ちたかのよう。不思議なことにアコースティック・フュージョンとでもいった様な印象です。全体的に4ビートとニューオーリンズのリズムがいい具合にブレンドしてて、リラックスムード。また、ジャケットがこれまでになく洗練されているのも見逃せません。ウィントンのアルバムってばどうにもあか抜けないジャケばかりだったのに、ブルーノートに移ったとたんに何だかオシャレ(笑)。この洗練されたジャケットがこのアルバムの内容を象徴しているかのようです。黄金の『ブルーノート時代』の幕開け、となるのか…?

CLIFFORD BROWN / Memorial Album (1953/blue note)

1-6 : クリフォード・ブラウン(tp)ジジ・クライス(as,fl)チャーリー・ラウズ(ts)ジョン・ルイス(p)パーシー・ヒース(b)アート・ブレイキー(ds)
7-12 : クリフォード・ブラウン(tp)ルー・ドナルドソン(as)エルモ・ホープ(p)パーシー・ヒース(b)フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)
エマーシー盤の数々はどれも金字塔とも言うべき内容のものばかりですが、ローチのドラムのせいか聴いてて飽きてきてしまうことが多い(あくまで僕の場合)。が、このブルーノートのセッション(これは2つのセッションの寄せ集め)は飽きずに何度も聴けてしまうのです。もちろんブラウニーなので内容的にはどのアルバムも高水準であり駄作なんてありませんが、でもやっぱりブルーノートの録音は何か引き付けられるものがあります。マイケル・カスクーナとアルフレッド・ライオンのマジックでしょう。さて、まずは前半1ー6のセッション。ブレイキーの広がりのあるシンバルが印象的なリズムに乗り、ブラウニーが跳ね回ります。特に「チェロキー」。エマーシーの「スタディ・イン・ブラウン」での「チェロキー」の方が有名だと思いますが、こちらも負けていない。圧巻。7ー12のセッションではパウエルに似たエルモ・ホープとのからみと独特のオカズをかますフィリー・ジョーの存在が面白い。ノリ的にもこちらの方がいいように感じます。ルー・ドナの勢いのせいでしょうか。ブラウニーとルー・ドナが揃えばもう何も言う事はないでしょう。この2人の絡みは翌年のバードランドでブレイキーの下(もと)に大爆発します。これは「バードランドの夜」の前哨戦みたいなものか?

CHET BAKER / In New York (Riverside/1958)

チェット・ベイカー(tp)ジョニー・グリフィン(ts)ポール・チェンバース(b)フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)アル・ヘイグ(p)

ウェストコーストの雄チェット・ベイカーがフィリー・ジョー、ポール・チェンバース、グリフィンといったイーストコーストの猛者達と作り上げたアルバム。やはり50年代のチェット・ベイカーは音に張りがあっていい。まあ、70年代のヨレヨレのものもそれなり味があっていいとは思っているのですが。チェット・ベイカーのように安定しすぎているほど安定したトランペットだと僕はどうにも退屈してきてしまうので、サイドにはイーストコーストのアクの強い人達が居てほしいわけです。だもんでこのアルバムなんかはその欲求を満たしてくれます。そういえばチェット・ベイカーは52年のチャーリー・パーカー「イングルウッド・ジャム」でパーカーと共演してます。あのようにアクの強い相手がいる方が僕には面白い。というわけで、このアルバム。なんといってもグリフィンの参加が光ります。ゴリ押しテナーでグイグイと引っ張っていくグリフィンには頼もしささえ感じてしまいます。こういった猛者の横でチェット・ベイカーがクールに吹く。それがイイんです。また、フィリー・ジョーとチェンバースの最強コンビもこれまた最高。ちょうどマイルスのところに居た頃。ところで、ジャケット写真のネクタイがオシャレですね。

WYNTON MARSALIS /LIVE AT THE HOUSE OF TRIBES (スタンダード・ライブ)(blue note/2004)

ウィントン・マルサリス(tp)ウェス・アンダーソン(as)エリック・ルイス(p)ケンゴ・ナカムラ(b)ジョー・ファーンズワース(ds)2002年12月15日録音
実を言うと、ウィントン・マルサリスはこれまで僕の頭の中で「ジャズ」というよりも「イージー・リスニング」に近いものとしてカテゴライズされてきた。いや、別にジャズじゃないなんて言う気はないしウィントンのジャズはたしかに「ジャズ」であると思うが、なんとなく何でも吹けるクラシック・トランペッターがジャズマンの演技をしているような、そんなニュアンスがあった。まあ、そもそも僕はイージー・リスニング大好き人間なのでそれでも別に問題は無いんだけど…。

ウィントンほど薬や酒に溺れるといったイメージから遠い人もいない。常に品行方正でクリーンなイメージ。健康的でもある。薬のやりすぎで死んだり自分の奥さんにピストルで打ち殺されるなんてことは絶対に無さそうだ。そういえば毎朝早く起きてジョギングし午前中に執筆活動を行う健康的な作家村上春樹が自分の著書で遠回しにウィントン好きを表明していた。別にウィントンのクリーンなイメージが村上春樹のウィントン感に影響しているというわけは無いだろうが…。

ロクに聴きもしないくせに「優等生ジャズ」「お勉強ジャズ」とかいってウィントンを非難する人が多いように感じるが、そういった現象自体ちょっと不思議に思う。そもそもウィントンのジャズはパーカーやマイルスやトレーンやオーネットなどのリアルなジャズとは肌合いが全く違うものであって、比較するようなものではない。ウィントンのジャズは伝統的なふりをしてはいるが、実は極めて異端。闇雲に非難する輩は新しいものに対応出来る耳が出来ていないだけだ。

ジャズマンというのはかつては「いま・ここ」の音楽を創造する人達のことであり、過去の積み重ねの歴史は知っているにせよあまり関係なく「いま・ここ」の音を作ってきた。過去にどんな凄い奴がいようが俺は俺の音楽をやるんだという意気込みすら感じる。常にジャズという音楽の当事者だ。だからこそ彼等の音楽はいつもリアル。しかしウィントンはそういうやり方を選ばない。「いま・ここ」ではなく、ジャズの過去を過剰に背負ってジャズの未来を見据えて音楽を作る。つまり長いスパンの中で自分の音のありかを捉えている。これは単純な過去の焼き直しとはちょっと違う。高みの見物のようにジャズのスタイルの歴史を見ていて、いつどんなときでも自在にあらゆるスタイルを取りだせる位置に立つ。つまりジャズの当事者というよりも、オムニバス盤を作る編集者みたいなもの。ジャズという音楽の当事者からスルリと身をかわし、ジャズという音楽を少し遠くの方から眺めている。ジャズに対してワンクッション置いている。ジャズの過去の伝統をふまえているふりをして、実はジャズの伝統なんてどうでもいいという風に思っていたりするのではないか。一応ジャズのふるはするが、それはあくまでも内側から湧き出てくるものではなく、とりあえず自分のやってる音楽をジャズという枠組みに入れ直す。つまり丁寧にジャズと言うパッケ-ジを作っているだけだ。僕がウィントンがどこか「イージー・リスニング」っぽく聞こえてしまうのはその為。

この、パッケージ化されたジャズというのはなかなか新しいアイデアで、そう簡単に出来るものではないのではないか。超絶のテクニックでも無い限り出来るものではない。しかも巷に溢れる平凡なイージー・リスニング・ジャズとは全く違って、限り無く「リアル」なふりをする。そして、これこそがウィントンのジャズというわけだ。だからウィントンのジャズにはジャズの体臭ともいうべきものがない。

ちなみにイージー・リスニングという音楽は実はかなり高度の技術を要する。ニニ・ロッソにしろハーブ・アルパートの音楽にしろ、ちょっと聴けば分るがとんでもない技術に裏打ちされている。逆に言えば、とんでもない技術が無ければ「イージー」には聞こえないのだ。

このアルバムはライブ形式にはなってはいるが、観客少数。初めからレコーディング用として集められたサクラかもしれない。彼等が演奏を盛り上げる。ライブとはいえ会場はライブハウスではなく、非営利の学校(コミュニティ・スクール)の教室。 さながらバリー・ハリスの「アット・ザ・ジャズ・ワークショップ」のようななごやかさだが、実はこれはそのように巧妙に作り上げられたもの。観客も盛り上がる演技をしているようにみえる。とはいえここまで作り込むワザはただ事ではない。往年のジャズの雰囲気そのままだ。だた、何度もいうように実は往年のジャズとは全く別の種類のもの。この微妙な違いを感じることが出来れば、逆に面白さを感じられるから不思議だったりする。とはいえこのアルバムの盛り上がり度は尋常ではない。特にドナ・リーなんて驚き以外の何ものでもない。高速で物凄い技を連発するからといって、70年代のリッチー・コールやボビー・エンリケスといった曲芸師とはこれまた違う。それらとは正反対のジャズ的な品格と質を備えている。そして、これまでのジャズに対する徹底した第三者的なスタンスがやや揺らいだ作品になっている。この揺らぎをリアルととらえるか演技ととらえるかは微妙な所だが、僕はジャズ的熱気と感じた。

不健康な暗い喫茶店でひとりで眉間にしわを寄せて聴くのではなく、ニューヨークのベーカリーカフェで本を読みながら叉はランチを食べながらといったくつろぎタイムにBGMとして聴くのがふさわしい。あるいは、健康増進法が施行されてもその法律を無視し一向に禁煙にするカフェが無いというタバコ臭い空気の日本よりは、すべての公共のレストランやカフェで喫煙禁止という条例が出たニューヨーク州のカフェで聴くのにふさわしい。つまりは、それほどまでに「現代」の空気がふんだんに盛り込まれた、そんな感じのアルバム。僕は気に入りました。

比べるべきはクリフォード・ブラウンではなくハーブ・アルパートなのかもしれない。いや、それはまたちょっと違うか…。そういえば、今アップル社のiPodのCMでウィントン・マルサリスが起用されており、テレビで流れている。クラシック出身のガチガチのスクエアだと思われていたウィントンがヒップなイメージのあるアップル社のCMに出るとは、と少し驚いた。アコースティックの4ビートジャズは現代という時代からヒップとして認められたかのような、そんな意外性を感じてしまった。メインストリームのジャズはひょっとして今ヒップの側なのか?アップル社のオシャレなCMに出るということは今やウィントンもどこかオシャレなイメージなのかな?だとすると、イージーリスニング的に感じていた僕の認識はここに来て別の角度から正しかったということになりはしないか?近年ハーブ・アルパートはボッサと同じようにオシャレ系音楽として再認識されつつあることだし(最近過去のアルバムがまとめてCD化されて盛り上がってますよね)、やはりクリフォード・ブラウンと比べるのではなくハーブ・アルパートなんかと比べる時代なのだ。だいたいiPodのCMというのは象徴的で、ウィントンの音楽はあのようにオシャレに踊ったりする音楽なのだということをも示唆しているかのようです。

と、まあいい加減なことばかり書き散らしてきましたが、何はともあれ近年の「メインストリームの」ジャズでは珍しいくらい、熱い作品です。

CHET BAKER / CHET (riverside/1958-59)

チェット・ベイカー(tp)ビル・エヴァンス(p)ポール・チェンバース(b)コニー・ケイ(ds)フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)ケニー・バレル(g)ペッパー・アダムス(bs)ハービー・マン(fl)
数ある・チェット・ベイカーのアルバムの中でもメンバーの豪華さという点ではトップクラスのアルバム。内容的にも最高級の作品です。50年代・チェット・ベイカーは西海岸時代の元気の良いさわやかな演奏のイメージが強いのですが、このN.Y.での録音はそのさわやかさがシットリとした洗練に変わっていて僕はかなり好きです。この変わり方は、1970年代のウエストコースト・ロックが70年代後半になると皆こぞってAORへと変貌していった不思議な現象に非常によく似ております。何故西海岸のアーティストはこういった変化が好き(?)なのか、少し研究の余地がありそうです。そういえば、ジェリー・マリガンもその典型ですね。50年代のピアノレス・カルテット時代のさわやかな軽快さが60年代の「ナイトライツ」になるとすっかり落ち着いた都会的な音に変化しているし…。太陽の下でさんざん遊んだ後は、ネクタイしめて都会のバー・ラウンジへ、といった感じなのでしょうか?(それじゃ田中康夫か…?笑)。まあそれはそれとして、このアルバム。エヴァンス・トリオの落ち着いたバックにささえられてチェット・ベイカーの音も落ち着いております(単に薬のせいで具合が悪かったとかいう説もある)。その落ち着き具合というか、けだるさ加減が全体のムードを決定づけておりまして、なかなかに「夜のしじま」なのであります。ムードミュージックとしてもいけそうです。控え目なコニー・ケイとフィリー・ジョーが見事だけど、それ以上に黒子に徹するエヴァンスが見事。いつものように独特の和音をつけているわけですが、ソロになっても決して深入りせず、あるまで控え目。ベイカーに合わせたのでしょうか、この控え目なエヴァンスの動きもアルバムに一定のまとまりをもたらすのに一役買っています。また、2曲だけケニー・バレルのトリオ(バレル、チェンバース、コニー・ケイ)がバックをつけているテイクがあるのですが、これが絶品!このアルバムの中でも際立って「あの時代」の音になっております。コニー・ケイのせいでしょうか、ときおりMJQの雰囲気まで漂ってくるようで、僕なんぞにとっては悶絶級の素晴らしさ。エヴァンが居ないときはバレル。こんな贅沢が他にあろうか。

WARREN VACHE /Jilian (1979/concord)

ウォーレン・ヴァシェ(cornet, flugelhorn)カル・コリンズ(g)マーシャル・ロイヤル(ts)ナット・ピアス(p)フィル・フラニガン(b)ジャイク・ハナ(ds)

中間派的なモダン・スウィングっぽいノリにウエストコーストジャズの洗練を加えたようなアルバム。コンコードの典型です。カラっとした秋晴れの日に良く似合います。カール・E・ジェファーソンはこういうのがよっぽど好きだったんでしょうね。ジェファーソンのお気に入りだったハーブ・エリスのホーン入りの諸作もこういった雰囲気に溢れています。このアルバムには、最もコンコード的なギタリストのカル・コリンズが参加しており、これがまたイイ味出してて…、堪らないですね~。ウォーレン・ヴァシェの暖かみのあるコルネットの音色も和みます。

DONALD BYRD /Byrd's Eye View�(Transition/1955)

ドナルド・バード(tp)ホレス・シルヴァー(p)ダグ・ワトキンス(b)アート・ブレイキー(ds)ハンク・モブレー(ts)ジョー・ゴードン(tp)

ジャズメッセンジャーズの勢いそのままに、ノリがいいわけであります。さりげなく始まる一曲目は曲が進むにつれてどんどん盛り上がっていき、カッコイイことこの上ない。ブレイキーが叩き方を微妙に変えながら曲の流れを組み立てていっているわけです。デビューしたてのドナルド・バードのリリカルな音色は、歌心とかいう以前に音と響きだけで「ジャズ」。1955年という時代にこのメンバーが揃えばどんな演奏だって素晴らしいものになってしまうという見本。

DONALD BYRD / BYRD'S WORD (1955/savoy)

ドナルド・バード(tp)フランク・フォスター(ts)ハンク・ジョーンズ(p)ポール・チェンバース(b)ケニー・クラーク(ds)

デビュー2作目となるリーダー作。ドナルド・バードの伸びやかな音色と溌剌としたフレーズ。70年代のドナルド・バードからはとても想像つかないような生々しくて初々しいプレイが嬉しくなります。適度なエコーもなかなかいい感じ。そして、ケニー・クラーク。全体を通してずーっとカッコイイのだ。こんな素晴らしいドラムがいればどんなセッションだって素晴らしくなるってもんですが、このアルバムはやはりケニー・クラークが引っぱっていっているようです。2曲目のミディアムスローの曲なんかは構成が面白い。ドラムで静かに始まりひとつひとつ楽器が参加していって盛り上がり、ラストはまたドラムで静かに終わる。なんともレイジーなブルースだけど、たるんだ感じが全く無いのはケニー・クラークの技のおかげ。

THAD JONES / Detroit - New York Junction (blue note / 1956)

サド・ジョーンズ(tp)ビリー・ミッチェル(ts)ケニー・バレル(g)トミー・フラナガン(p)オスカー・ペティーフォード(b)シャドウ・ウィルソン(ds)

デトロイト経由のアーチストってのは結構好きなのです。バレル、トミフラ、ドナルド・バード、ポール・チェンバース、ペッパー・アダムス…などなど、何故かどのアーチストもハードボイルドな(?)独自な音を持っている。そしてこのサド・ジョーンズもまたデトロイト。特別好きなアーチストのうちのひとりです。ベイシー楽団はサド・ジョーンズの音があるから好きなのかなあ、なんて思ってる自分にとって、サド・ジョーンズのリーダー作は特別なものがあります。そしてわざわざデトロイト出身者で固めた布陣(オスカー・ペティーフォードとシャドウ・ウィルソンは違うが)。この手のデトロイトものはいくつかありますが、どれも同じような一定の音風景があるのがなんとも不思議です。ECMがどれも冷たい北欧の音になっているというのと同じような意味で、デトロイトもののアルバムにはどれも同じような都会の風景みたいなものがあるのはケニー・バレルのせいでしょうか?そんなわけで本作はサド・ジョーンズのブルーノート第1弾。兄ハンクの推薦でベイシー楽団に入った直後の録音で、NYに出て来た気合いと勢いと共に、何故だかリラックス感も漂います。そこがサド・ジョーンズならではの面白さ。そしてやっぱりブルーノート1500番台特有の気品もあります。脇を固めるデトロイト軍団はいつものごとくブルージーです。ところで、冒頭の出だしの所で、スピーカーから流れてくる音に合わせて、頭の中でフレディ・グリーンのリズムギターが聞こえてくるのは僕だけか?(笑) 


WYNTON MARSALIS /Black Codes (CBS/1985)

ウィントン・マルサリス(tp)ブランフォード・マリサリス(ts)ジェフ・ワッツ(ds)チャーネット・モフェット(b)ケニー・カークランド(p)ロン・カーター(b)

「ジャズの雰囲気を演出する」ことが「ジャズ」になってしまうというウィントンの圧倒的な力量を体感出来るのが、本作と「スタンダード・タイムVol.1」。このアルバムの基本的なお手本は60年代マイルス。当時のマイルス・グループの魅力のひとつであったショーターのミステリアスな曲のようなものはさすがにありませんが、雰囲気だけは当時をそのまま再現しており、「スタンダード・タイムVol.1」に直結するような見事な演出です。内容よりも雰囲気、というサッパリした割り切り方が気持ち良い。 新伝承派の音楽には「自分だけのジャズ言語」や「自分だけの音」というものは不要なのだ。そんなわけでイージーリスニングなのだ。この発想は結構好き。

DONALD BYRD / Free Form (blue note/1961)

ドナルド・バード(tp)ウェインン・ショーター(ts)ハービー・ハンコック(p)ビリー・ヒギンズ(ds)ブッチ・ウォレン(b)

5曲目の「FREE FORM」がとてもいい。もうすでに新主流派の行き着くところまで行ってる感じの曲。これを1曲目に持ってきていたら、アルバムとしても全く違った印象になったのではないだろうか。

The Mangione Brothers Sextet / THE JAZZ BROTHERS (riverside/1960)


Chuck Mangione(tp) Gap Mangione(p) Sal Nistico(ts) Roy McCurdy(ds) Larry Combs(as) Bill Sanders(b)
チャック・マンジョーネの記念すべきファースト。弟のギャップ.マンジョーネとともに作ったザ・ジャズ・ブラザーズ名義。これがハードバップとしてなかなかいいのです。風通しがいいというか、軽さがいいというか。軽いといってもウェストコースト系のようなちまちました感じではないところがイイ。この頃の チャック.マンジョーネはディジー・ガレスピーに影響されたバリバリのハードパッパー(デビュー前からディジー・ガレスピーとは交流があったらしい)。しかも適度に器用なので聴いてて気持ちがいい。のちにアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに引き抜かれるのも分かります。弟のギャップの方はまだまだ地味ですが、グループとしてのフレッシュなパワーは相当なもの。全体の雰囲気もとても良い。

 


(文:信田照幸)


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