Cecil Taylor 60's セシル・テイラー 1960年代


(1950年代1960年代1970年代1980年代1990年代2000年代~)



1960.10.12&13.
CECIL TAYLOR / The World Of Cecil Taylor (candid/1960)


セシル・テイラー(p)ビュエル・ネイドリンガー(b)デニス・チャールズ(ds)アーチー・シェップ(ts)
このあたりからセシル・テイラーのピアノスタイルも徐々に派手になっていきます。翌年の1961年のセッションではその変化が顕著に現れてきますが、このアルバムは初期のスタイルと60年代のスタイルとの橋渡し的存在。具体的には、翌年から左手でコードをおさえリズムを取ることを徐々にやめていき、パーカッシヴな奏法へと変化していきます。エリントン~モンクのライン上にあるスタイルはこの後どんどん崩れていき、独自のピアノスタイルを確立することになります。しかし本作ではまだ初期のスタイルが色濃く残っているわけで、フリーというよりもまだバップに近いニュアンスです。2曲目はテーマ部が叙情的なのにもかかわらず、ひたすらドライに弾き倒しますが、のちの抽象的な弾き方への変化の仕方を分かりやすく解説してくれているようです。具象から抽象へと分かりやすく絵のスタイルを変化させていったモンドリアンを思い浮かべてしまいます。ところで、このアルバムでデビューを果たしたのが、かのアーチー・シェップ。サックスの音色がまだあの塩辛いような音色では無く、初々しいのがこれまた興味深いですね。

1960.10.12&13.
CECIL TAYLOR / Air (CANDID/1960)

セシル・テイラー(p) アーチー・シェップ(ts) ビュエル・ネイドリンガー(b) サニー・マレイ(ds) デニス・チャールズ(ds)

評価の高い1960年のセッション。かなりの名作。「ワールド・オブ~」よりもこちらの方が凄みがあり、テンション高めです。セシル・テイラーのピアノの秘密の謎解きのような内容。左手と右手の役割をよく見ていくと分かります。どのテイクも密度が濃く、それが64分ずっとつづきます。同じ曲の連続攻撃ではあるものの、それぞれ違った味わい。それぞれにアプローチが全く違います。後年、セシル・テイラーは自らの合図によって他の楽器の音の流れを変化させていきますが、その初期のスタイルをここで見ることが出来ます。切れ味鋭い硬質のピアノを存分に堪能。

1961.1.09&10.
CECIL TAYLOR / New York City R&B (CANDID/1961)

セシル・テイラー(p)ビュエル・ネイドリンガー(b)ビリー・ヒギンズ(ds)アーチー・シェップ(ts)デニス・チャールズ(ds)スティーヴ・レイシー(ss)他

この1961年のセッションは本当に充実していたようで、1960年のものよりも出来がいいように思います。まあ、60~61年のキャンディドの諸作はどれも素晴らしのですが、僕は中でも特にこのアルバムが気に入ってます。トリオにおけるセシル・テイラーのピアノ表現に深みが出てきて、それまでのパターンをどんどん崩しにかかっているところなんか、かなりスリリングです。ビュエル・ネイドリンガーの堅実なウォーキングもなんだか凄みが出てきました。セシル・テイラーをずっと支え続けてきたネイドリンガーはこの61年のセッションを最後にセシル・テイラーの元を離れます。代わりに、61年10月(Gil Evans "Into The Hot")からはヘンリー・グライムスが入ります。本作では、テイラー、ネイドリンガー、ビリー・ヒギンズのトリオによる「O.P.」と「CINDY'SMAIN MOOD」が聴きもの。ちなみに、当時ネイドリンガーはヒューストン交響楽団に所属しており、その後はボストン交響楽団に所属。このバリバリのクラシックのコントラバス奏者が初期セシル・テイラーを支えていたというのもなんだか興味深いですね。

1961.1.09&10.
CECIL TAYLOR / Jumpin' Punkins (CANDID/1961)

セシル・テイラー(p)ブエル・ネイドリンガー(b)スティーブ・レイシー(ss)アーチー・シェップ(ts)ビリー・ヒギンズ(ds)デニス・チャールズ(ds)ラズウェル・ラッド(tb)クラーク・テリー(tp)チャールズ・デイビス(bs)

1961年1月の録音。60~61年のキャンディド音源と「Into Tha Hot」までが、セシル・テイラーが定形リズムを使用していた最後の時代。ここから62年(「The Early Unit 1962」「Live at the Cafe Montmartre」)のアルバムまでの間のセシル・テイラーの変化には注目すべきものがあります。61年10月の「Into Tha Hot」では、すでに各楽器に於いて大きな変化の途上にある音が聴けますが、61年1月の本作の時点ではまだ50年代からのバップスタイルが残っており、そのアンバランスさが逆にスリリングで、凄みを感じさせる由縁でもあります。2曲目「O.P.」でのセシル・テイラーのピアノのあまりの凄さは、その後の怒濤の60年代を予感させるに十分。 ちなみに本作はアナログで出ていたCecil Taylor All Stars featuring Buell Neidlingerと同内容です。

1961.1.09&10.
CECIL TAYLOR / Cecil Taylor All Stars featuring Buell Neidlinger (CANDID/1961)

1961年のキャンディド音源で、元々はビュエル・ネイドリンガーのリーダー作として作られたもの。何と言ってもB-1の静かな「I FOGOT」。珍しくレガート使ってポツンポツンと音をおいていきます。デビュー作から61年まででは最も静かに演奏したものです。頑ななまでに同じスタイルでしか演奏しないセシル・テイラーが妥協するとは考えられないので、これは一種の実験のようなものだったのでしょう。この次のアルバム(Gil EvansのInto The Hot)からセシル・テイラーのピアノスタイルが微妙に変化しているのも、60~61年にかけてのキャンディドでの実験的なセッションによって生み出されたものと言えます。そういった意味ではキャンディドでの諸作はどれも60年代以降のセシル・テイラーを研究する上で非常に重要。

1961.1.09&10.
CECIL TAYLOR / Cell Walk For Celeste (Candid /1961)

セシル・テイラー(p)ブエル・ネイドリンガー(b)アーチー・シェップ(ts)デニス・チャールズ(ds)クラーク・テリー(tp)ラズウェル・ラッド(tb)スティーヴ・レイシー(ss)チャールズ・デイヴィス(b)

1961年1月のキャンディド・セッションからのアルバム。文字通り、過渡期の熱気のようなものに包まれています。試行錯誤の同曲別テイクなどが面白い。アルバムとしてというよりも、ひとつのドキュメントとして存在するような作品なので、同時期の「AIR」などとともにややマニア向けか。1961年の10月には「イントゥ・ザ・ホット」のセッションがあり、大変身の1962年へと至るわけですが、セシル・テイラーのプレイにだけはそれらの伏線ともいうべき流れが見てとれます。3曲目「SECTION C」でのセシル・テイラーの深いソロに注目。 また、アーチー・シェップとネイドリンガーとのデュオも2曲ほどあり、初期シェップの素晴らしさを堪能出来ます。

1961.10.10.
GIL EVANS / Into The Hot (Impulse/1961)

セシル・テイラー(p)ジミー・ライオンズ(as)アーチー・シェップ(ts)ヘンリーグライムス(b)サニー・マレー(ds)テッド・カーソン(tp)ラズウェル・ラッド(tb)

6曲中3曲がセシル・テイラー・グループの演奏。このアルバムからセシル・テイラーの音楽が飛躍したように感じます。60~61年にかけてのキャンディドのセッションとは明らかに完成度の点において差があります。これまでのセシル・テイラーの音楽上で比較的弱かったホーンの扱い方がここではバシッと決まっています。ギル・エヴァンスの手腕の凄さということなのでしょう。この、いくつかの独立したパーツを組み合わせて作り上げていくような構成は、60年代のセシル・テイラーの作品の特徴。このアルバムは、その後のセシル・テイラーの展開を考えると極めて重要な作品です。 

1961.10.10.
CECIL TAYLOR / Mixed (impulse/1961)

セシル・テイラー(p)ジミー・ライオンズ(as)アーチー・シェップ(ts)ヘンリー・グライムス(b)テッド・カーソン(tp)ラズウェル・ラッド(tb)サニー・マレイ(ds)

「Into The Hot」(Gil Evans Orchestra)の中のセシル・テイラー・ユニットの演奏3曲をまとめて連続で聴ける優れもの。ラズウェル・ラッド・セクステットの演奏(1966年の「Everywhere」。なんとジュゼッピ・ローガン入り!)とのカップリングです。この61年10月の「Into The Hot」のセッションはセシル・テイラー音楽の中でも最も重要なもののひとつ。この録音の直前の時期までつづいたCANDIDセッションの流れの上にあるものの、オーケストレーションの響きと複雑な曲構成の裏にギル・エヴァンスの影がちらつきます。また、セシル・テイラー・ユニット初参加のジミー・ライオンズの奏法は、のちのジミー・ライオンズを考える上で重要。初期の奏法から66年の3作に見られる奏法への変化は、セシル・テイラーの変化にそのまま対応しています。この61年の「Into The Hot」と60年~61年のCANDIDセッションに参加していたミュージシャンは、それぞれその後フリージャズ躍進の立役者として活躍することになります。これらのメンバーの中でボス、セシル・テイラーが長年手放さなかったのはジミー・ライオンズだけだったというのが実に興味深い。ちなみにカップリングのラズウェル・ラッドの「Everywhere」方は当時のスティーヴ・レイシーの音楽と同じ方向性を持つもので、こちらもまた重要作。Satan's Danceはジュゼッピ・ローガンの作曲。 

1962.10.14.
CECIL TAYLOR /The Early Unit 1962 (ingo/1962)

セシル・テイラー(p)ジミー・ライオンズ(as) サニー・マレー(ds)クルト・リンドグレン(b)

新主流派的スタイルがなんとも清々しい(笑)。特にB面におけるソロの展開の美しさは格別。名作「モンマルトル」の1ヶ月前の演奏です。1962年スウェーデン、ストックホルムのゴールデンサークルでのライブ。キャンディド・セッションと「モンマルトル」とに挟まれた時代の貴重な音源です。この62年から66年あたりはセシル・テイラーが最も創造的だった時代でもあり、またセシル・テイラーの音楽が最も美しかった時期でもあります。このアルバムでのセシル・テイラーは非常に柔らかいスタイルです。左手の低音部の刻々と変化していくハーモニーに沿って、右手の高音部が自在に幾何学模様を繰り出す、この時代ならではのプレイも所々聴くことが出来ます。名作「モンマルトル」にそのままつながる内容。「モンマルトル」ではベースが居ませんが、こちらはベース入りです。ところで、「モンマルトル」にしてもこのアルバムにしても、現在とても入手困難という状況にあります。このアルバムはしょうがないとしても、「モンマルトル」が国内盤も輸入盤もすべて廃盤というのは、本当にもったいない話です。ちなみに「モンマルトル」は「Nefertiti, The Beautiful One Has Come」という題名でも出ているし、ジャケ違いCDも何種類かあります。LP時代にはさらにいろんな種類のものが出ていた為(1枚組のものもある)、アルバムとしての存在感が薄くなってしまっているのがこれもまた非常にもったいない。…話がそれました。このアルバムは1962年10月14日の演奏で、スウェーデンのテレビ放送からの音源。A面の「Spontaneous Improvisation」とB面の「Flamingo」の他に、あと1曲「What's New」(7:06)をやっているようですが、「What's New」はLP未収録です。是非コンプリートでCD化してもらいたいところです。

1962.11.16.
ALBERT AYLER / Holy Ghost - rare & unissued recordings (revenant rvn213 / 1962)

セシル・テイラー(p)ジミー・ライオンズ(ds)サニー・マレイ(ds)アルバート・アイラー(ts)

セシル・テイラーとアルバート・アイラーとの共演音源が出て来たということで話題になりましたね、これ10枚組BOX SETの1枚目。約21分、一曲だけですが、それでもこの時期のセシル・テイラー・ユニットの音源は極めて貴重。ざっと内容を紹介すると、
0:00~テイラー&マレイ
3:40~テイラー&マレイにジミーライオンズが加わり、ソロ
8:00~テイラー&マレイにアイラーが加わり、ソロ
11:00~テイラー&マレイ
15:30~テイラー&マレイにアイラーが加わり、ソロ
18:00~テイラー&マレイにジミー・ライオンズが加わり、ソロ
19:00~テイラー&マレイ&ジミー・ライオンズにアイラーが加わる
19:15~テイラー&マレイ
Lastテイラー&マレイに加え少しだけアイラー登場
といった展開。
「カフェ・モンマルトル」の1週間前の演奏なだけに、テイラーもジミー・ライオンズも「カフェ・モンマルトル」と同じスタイルで演奏しています。バップ・フレーズを巧妙に組み立て直し独自のアブストラクトなフレーズを生み出すジミー・ライオンズ。右手と左手とでそれぞれ独立したフレーズを紡いでいき、しかも左右それぞれのリズムが違う、という超絶技法を駆使しつつも、常に音楽全体のバランスを取るようにフレーズを繋いでいくセシル・テイラー。全く「カフェ・モンマルトル」と同じです。つまり、内容的にはモンマルトル+アイラー、ということになりますね。アイラーに関しては、「スピリチュアル・ユニティー」の頃のアイラーと似たようなフレーズと吹き方。実際にアイラーが絡む時間は短いものの、音楽的には非常に豊かなものです。

1962.11.23.
CECIL TAYLOR / Live at the Cafe Montmartre (MUZAK/1962)

Cecil Taylor(p) Jimmy Lyons(as) Sunny Murray(ds)

このセシル・テイラーの代表作がいつの間にか紙ジャケで再発してました。ちなみにこれまでの「コンプリート版カフェ・モンマルトル」(2枚組CD)は、オリジナルの「カフェ・モンマルトル」と「ネフェルティティ」の2枚分が入っていて、曲順はオリジナルと違っていました(同日録音です)。
セシル・テイラーを何か1枚だけ持っていたいという人にはとりあえずこの「カフェ・モンマルトル」あたりがいいのでは。セシル・テイラーの華麗さとジミー・ライオンズの特異性がよく出ているし、「ユニット・ストラクチャーズ」以降定番となる曲構成の複雑さも無いので比較的聴き易いし、何よりも変化の途上にあるために創造性がどんどん湧き出ている感じが凄い。

同日録音の「ネフェルティティ」も同じように紙ジャケで再発してるので、そちらもマストだけど、まずはこの衝撃の「カフェ・モンマルトル」を体験すべし。このアルバムは何度でも聴けるし、聴くたびに新たな発見があるようなとてつもない深さを持った作品です。


1962.11.23.
CECIL TAYLOR / Live at the Cafe Montmartre (complete) (debut/1962)

セシル・テイラー(p)ジミー・ライオンズ(as)サニー・マレイ(ds)

オシャレです。カッコイイです。デンマークのコペンハーゲン、カフェ・モンマルトルでのライブ。ガヤガヤとした中、静かに鳴り始めるピアノがとてもいい感じ。ついに一定のリズムに拘らないで自由自在にリズムが変化するというお馴染みのスタイルの登場というわけです。左手のコードの使用が極端に減り、両手でパーカッシヴに力強くたたくという、これまたお馴染みの奏法はこのあたりから始まります。ときおりそれまでのスタイルの奏法も混ざるけれど、それくらいがちょうどいい。バップを解体し尽くして、それを自分独自の感性と知性で組み立て直した結果、あのスタイルに変化していった、ということでしょう。
また、のちにセシル・テイラーの片腕となって活躍するジミー・ライオンズのサックスが、これまた最高。いっそのこと「イントロデューシング・ジミー・ライオンズ」というサブタイトルでもつけたら良かったのでは、という位にジミー・ライオンズが最高のプレイを見せてます。バップとモードを解体して再構築したような、極めてアブストラクトな奏法。セシル・テイラーのピアノをそのままサックスに置き換えたものとして見る事も出来ますが、とにかく圧巻です。
ところでこのアルバムではベーシストが居ません。このライブの1ヶ月前のゴールデンサークルでのライブではKurt Lindgrenがベースに入ったカルテット編成だったのが、なんらかの理由によりトリオ編成に…。ヘンリー・グライムスがヨーロッパに来れなくなった為やむなくトリオで演奏した、というのが定説になってますが、真相はどうなんでしょう?ちなみに、このライブの1週間前にはこのトリオにアルバート・アイラーを加えたカルテット編成でセッションをしており、ここでもベースが居ません。これまでセシル・テイラーの音楽にはベースは必ず居たということを考えると、アイラーとのセッション時にベースはいらぬと判断したのか、それともベーシストの都合が付かなかったのか。ひょっとするとセシル・テイラーにとってベースはリズムキーパーの役割だった為、一定のリズムを刻まないスタイルに変化したこのライブでは実験的にベースを抜いた、ということも考えられます。実際、ときおり4ビートの破片が浮かんでくる「What's New」ではセシル・テイラーは左手で低音を取っていますが、これはベーシストが居ないからなのだろうか、なんて考えてしまいます。63年~64年のライブではヘンリー・グライムスがベースに入っていますが、そこではようやくリズムキーパーとしてのベース以外のベースの役割を見つけ出したからなのでは…、などと無駄なことを考えてしまうのも、ロジカルなセシル・テイラーの音楽ならでは。
さて、このアルバムはコンプリートということでCD2枚分ですが、CDの1枚目だけでも十分。というか、そうした方がまとまりがあって、名盤としてのアルバムの存在感もあったような気がしますが…。名盤といえば、ジャズの世界では、ジャケがいいものは内容もイイという話がありますが、このアルバムもなかなかいいジャケじゃありませんか。これでセシル・テイラーの写真がブルーのモノトーンだったりしたらブルーノートみたいですね。もし当時ブルーノートから出ていたら、このアルバムは新主流派の名作として君臨してたでしょう。

1962.11.23.
CECIL TAYLOR / Nefertiti, The Beautiful One Has Come (Fontana/1962)

セシル・テイラー(p)ジミー・ライオンズ(as)サニー・マレイ(ds)

カフェ・モンマルトルのライブのうち、LP時代の「カフェ・モンマルトル」から漏れた音源がこちらのLPに入っています。内容はもちろん「コンプリート・カフェ・モンマルトル」の2枚組CDと同じ音源。この名作が、LP時代もCD時代もいろんなジャケで、いろんなタイトルで出回ってしまったということは本当に不運としか言いようが無い。ブルーノートあたりでリリースされていれば間違いなく新主流派(フリーというより新主流派といった方がふさわしいような内容なのです)の名盤として長く聴き次がれていたに違い無い。この時期のセシル・テイラー・ユニットは本当に素晴らしかった。ちなみに現在は輸入盤も日本盤もすべて廃盤です。ところで、これはオランダのフォンタナ・レーベルのもので、マルテ・ローリングが絵を描いてます(僕の持ってるのは日本盤ですがオリジナルのオランダ盤は文字の大きさと色が違います。また、Fontanaのレーベルマークの位置も違います)。この絵のシリーズで当時のフリージャズ関連のアルバムが沢山出てました。どれも素晴らしいジャケットなので、LPで持っていたい。ちなみにこのシリーズで一番気に入ってるジャケはカーラ・ブレイの「ジャズリアリティーズ」。インテリアとしても使えそうです(笑)。

1965.9.19.
CECIL TAYLOR/ Rare Broadcast Performances (ozone/1965)

セシル・テイラー(p)ジミー・ライオンズ(as)アンドリュー・シリル(ds)ヘンリー・グライムス(b)

ミンガス・グループの演奏とのカップリングLPで海賊盤。たった2曲、しかも途中で終わったりしているけど、極めて重要な音源。モンマルトルの62年からユニット・ストラクチャーズの66年まで、何故か公式録音が無いのですが、その期間を埋めるただひとつの音源がこれで、ヘンリー・グライムス入りというのがポイント。この時代のフリージャズ・ベースのキーパーソンでもあります。この音源は1965年9月NYのヴィレッジゲイトでの録音で、1曲目はアンドリュー・シリルとのデュオ、2曲目がカルテット演奏です(ちなみに62年から64年にかけて、このカルテットにアルバート・アイラーが加わったクインテットでツアーを行っています)。あのユニット・ストラクチャーの前年ということだけあって、やはりかなり曲構成がしっかりしている中での即興です。音質の悪さも何のその。カフェ・モンマルトルとユニット・ストラクチャーズの間という最も重要な時代に、かなり作曲を重視していたのではないか、などと推測出来る貴重な音源。

1965.9.19.
CECIL TAYLOR / Rare Broadcast Performance 1965 & Piano Solo At Town Hall 1971  (Free Factory)

Cecil Taylor (p) Henry Grimes (b) Jimmy Lyons(as)Andrew Cyrille (ds) 

LPで出ていた「J For Jazz Broadcasts Presents Cecil Taylor」(1971年7月24日)と「Rare Broadcast Performances 」(1965年7月19日)のCD化。まずはこのCDのメイン1971年のピアノソロですが、とにかく流麗で凄い。60年代前半(「At The Cafe Montmartre」の頃)に見られたスタイルの速度をさらに速め、そこにさらに「Indent」(1973年)以降のスタイルが渾然と混ざり合う。物凄いスピード感に圧倒されたのか観客も演奏の途中で思わず何度も拍手しちゃってます。このへん、拍手したくなる気持ちは本当によく分かる。とはいえよく聴けばそのスピードの中に幾何学的な構造とでも言いたくなるような形式がきちんと存在するわけで、聴けば聴くほどその曲構造に驚きます。セシルのピアノソロの中でも間違いなく最高峰でしょう。そして、オマケのようにくっついてる1965年の音源の方。こちらはデュオとカルテットの2曲。一曲はアンドリュー・シリルとのデュオで、セシルは弦を直接弾いたりプリペアド・ピアノのような変な音を出したりしています。「Student Studies」へとダイレクトに繋がる内容。演奏の途中でいきなり終わってしまいます。もう一曲はカルテット。翌年の「Unit Structures 」の核になるメンバーによる貴重な演奏です。
(ところでこの1965年の「Rare Broadcast Performances 」の音源、これまでのデータではドラムがサニー・マレイとされていましたが、本CDが登場したことにより、ドラムはアンドリュー・シリルというのが正式なデータのようです。上記の「Rare Broadcast Performances 」のメンバ-部分も訂正しておきました。)

1966.3.19.
CECIL TAYLOR /Unit Structures (1966/Blue Note)

エディ・ゲイル(tp)ジミー・ライオンズ(as)ケン・マッキンタイアー(as,oboe,bcl)ヘンリー・グライムス(b)アラン・シルヴァ(b)アンドリュー・シリル(ds)セシル・テイラー(p)
ブルーノートということもあって、たぶんセシル・テイラー作品の中でも最も有名なもの。もちろん名作だし、ジャケデザイン(もちろんリード・マイルス)だって秀逸だし、代表作のうちのひとつだと思うが、実際はあまり聴かれていない(というか面白さが理解されていない)のではないか。このアルバムを分かりづらくしている要因はケン・マッキンタイアーの存在だろう。1曲目、ソロはケン・マッキンタイアーから始まるが、これがおそらくアルバム全体のあやふやなイメージを決定づけてしまっている(大抵の人はここで挫折するのではないだろうか)。アルバム中、セシル・テイラーが設定した枠をはみ出していると思われるのはこの部分だけだし、アルバムを通してもこの部分がやたらと目立つ。これがジミー・ライオンズからだったら印象が全く違っていただろうし(ジミー・ライオンズのソロパートはケン・マッキンタイアーのあと)、次の「コンキスタドール」のように全体の見通しもよかったのではないか。ただ、ファンにとってはこの部分は全く問題無いというか、かえって刺激的で面白いのだが。

このアルバムからセシル・テイラーのスタジオ録音における曲の構成が独特になり、これはその後もずっとつづくことになる。セシル・テイラーの音楽にはつねに枠みたいなものがあって、基本的にどの楽器もこの枠を出ることはない。この枠とは作曲部分であるともいえるけれども、むしろセシルの指示といったようなものと捉えた方が分かりやすい。その指示は徹底しており、どの楽器パートの隅々からもセシルの意図が感じられるほどにこの枠は強固。また、順番にソロパートがあって、これはそれまでのバップと何ら変わらないんだけど、それぞれのパートは前後とは関わらずに独立しているようにみえる。パートごとに風景がガラリと変わるような感じ。その全く違う風景が組合わさって構築されているので、何やら折衷主義的な(あるいはポストモダン的な)建築物のような構造のように思えてくる(このへんの説明が上手く出来ないんだけど、ヴィジュアルで説明するとこうとしか言い様が無い)。Unit Structuresというタイトルがそれをそのまま言い表しているようにも思える。寄ってたかって楽器をドシャメシャに演奏し倒すというよくあるフリージャズとは正反対の構造を持っており、ある意味フリーという言葉とは逆に、不自由さすら感じさせるほど。セシル・テイラーのアルバムに必ずある折り目の正しさと、そこはかとなく漂う気品は、そういったストイックさに由来するものなのかもしれない。
ところで本作がこのような形になったのはプロデューサーのアルフレッド・ライオンの指示でもあったようだ。本当は「Conquistador」のように長尺の演奏をしたかったところアルフレッド・ライオンが許さなかったとか。おまけにセシルはプリペアド・ピアノを使用したかったのをこれまたアルフレッド・ライオンは許可しかなったとか(プリペアド・ピアノは同66年の「Student Studies (Great Paris Concert)」で実現している)。しかしながら本作の出来映えを見れば、アルフレッド・ライオンの目は間違ってなかったのではないかと。 


1966.10.06.
CECIL TAYLOR / Conquistador (1966/Blue Note)

セシル・テイラー(p)ビル・ディクソン(tp)ジミー・ライオンズ(as)ヘンリー・グライムス(b)アラン・シルヴァ(b)アンドリュー・シリル(ds)

前作Unit Structuresと並ぶセシル・テイラーの傑作。多少複雑だった前作の構造がここでは比較的明快且つシンプルに聴こえるのは、テンポ設定が緩やかだから。めまぐるしく情景の変わるUnit Structuresとは対照的に、比較的穏やかで落ち着きのある音楽になっています。そして、個人のソロの自由度は多少増した形になってはいるものの、やはり枠があってその中での自由。特別な感情表現やパワーの放出といったものからは無縁のドライな音楽です。A面B面各1曲ずつという壮大な規模の本作は、前作同様いくつかのパート(ユニット)を繋ぎ合わせた様な構造になっていて、なおかつ俯瞰で見てもフラクタル的な構造になっているようで非常に美しい。セシル・テイラーの美意識で厳格に統率されたアルバム。

1966.10.16.
CECIL TAYLOR /Live In Stuttgart (ZOOEY RECORDS / 1966, 1969)

(CD1) 1966.10.16.
1.Conquistador 2.Second Amplitude Words
セシル・テイラー(p)ジミー・ライオンズ(as)アンドリュー・シリル(ds)アラン・シルヴァ(b)
(CD2) 1969.11.10.
1. Fragments Of A Dedication To Duke Ellington
セシル・テイラー(p)サム・リバース(ts,ss, fl)ジミー・ライオンズ(as)アンドリュー・シリル(ds)

非常に貴重な音源が収録されているブートCD2枚組。どちらも日付に注目!2006年に出てきたもので、どちらもドイツ録音。まずは1966年の方(音質は良好)。言うまでもなく1966年はセシル・テイラーにとって最も重要な時代で、5月19日「ユニット・ストラクチャーズ」、10月6日「コンキスタドール」、11月30日「スチューデント・スタディーズ(グレート・パリ・コンサート)」と、代表作ともいえるアルバムを3枚録音しています。このブート音源は10月16日のドイツ録音でちょうど「コンキスタドール」の10日後のもの。この最強カルテットでの音源がよくぞ出てきました。1曲目はなんとコンキスタドールのライブ・バージョン。スタジオ録音の方はこのメンバーにビル・ディクソンとヘンリー・グライムスが加わっていてそれなりに厚みのある音作りでしたが、カルテット演奏になると実にシンプルな曲構成になっていることが分かります。長いトリオ演奏の後に入って来るジミー・ライオンズが、「カフェ・モンマルトル」の頃のようなバップフレーズを解体したようなフレーズを吹き始めて、これが実に鳥肌ものです。セシル・テイラーのタッチがこれまた切れ味鋭く、跳ねるようで、まさに全盛期の勇姿といった感じ。2曲目の方は、「スチューデント・スタディーズ(グレート・パリ・コンサート)」にそのまま繋がる内容。セシル・テイラーが現代音楽最も近づいたプレイで、「スチューデント・スタディーズ(グレート・パリ・コンサート)」よりもさらに現代音楽寄りであり、非常に興味深い内容です。プリペアド・ピアノでのピアノトリオは今聴いても十分アバンギャルド。ピアノ線の上にいろいろと物を置いてピアノを弾く姿は、リュック・フェラーリの映画「パリのセシル・テイラー」(1966年12月5日~7日に撮影されたもの)にもありました。ところで、ブルーノートに「コンキスタドール」を録音するときにセシル・テイラーはプリペアドピアノでやりたいという申し出をしたそうですが、アルフレッド・ライオンがこれを許さなかったそうです。だもんで「コンキスタドール」はA面B面ともにああいった形になったとか。ということは、本CD-Rに収録されている2曲目のプリペアドピアノによる作品は実はセシル・テイラーが「コンキスタドール」に入れたかったものではなかろうか?アルフレッド・ライオンに却下された為にオクラ入りしてたものを、このライブでぶちまけたと…。そう考えるとこのアルバムはやっぱりかなり貴重ですね。 
つぎに、2枚目の1969年の方。1969年といえば、7月29日に「The Great Concert Of Cecil Taylor(Aの第2幕)」が録音されており、その後のものはブートで11月9日のオランダでのライブ録音(「Cecil Taylor Quartet in Europe」)が出回っておりました。が、これはその翌日のもの。ドイツ録音。今のところこれが60年代セシル・テイラーを記録した最後の録音です。セシル・テイラー・ユニットにサム・リバースが加入するのは1969年2月8日のこと。4月のJCOAの録音をはさんで、この後はこのカルテットで1971年3月までつづきます。このサム・リバース時代、ジミー・ライオンズはスタイルを少し変えていきます。サム・リバースに合わせたのか、あるいは時代がそうだったのか、フリークトーンを少し織り交ぜるようになります。本来は冷静沈着に独自のアブストラクトなフレーズ(モンマルトルの頃のようなバップを崩したものではなく、この時期のフレーズのほとんどはセシル・テイラーのフレーズをサックスに置き換えたようなもの)を繰り返すジミー・ライオンズですが、ここでは何故か熱い。時代の熱さも影響しているようです。また、サム・リバースのフルートがとてもいい感じでとけ込んでいて、セシル・テイラー音楽に新たなカラーが加わったような感もあります。 

1966.11.30.
CECIL TAYLOR / Student Studies (BYG/1966)
= CECIL TAYLOR / Great Paris Concert (Black Lion Records)
 
セシル・テイラー(p)ジミー・ライオンズ(as)アンドリュー・シリル(ds)アラン・シルヴァ(b)

1966年12月5日から7日にかけて録画されたセシル・テイラー・ユニットのリハーサル風景の映像が残ってます(映画「パリのセシル・テイラー」)。メンバーはこのアルバムと同じカルテット。このアルバムが1966年11月30日録音なので、映画「パリのセシルテイラー」はこの直後の映像ということになりますが、そこで実に興味深い一場面がありました。アンドリュー・シリルがメトロノームを使ってドラムを叩いている…。しかも何やら神妙な顔つきで。この映像からセシル・テイラーの楽譜にはリズムのテンポについても決まっている部分があるとも考えられますが…、実際のところどうなんでしょう。このアルバムはセシル・テイラーのアルバムの中でも「ユニット・ストラクチャーズ」と同じかあるいはそれ以上に作曲のパートが大きいものになっているのが特徴。しかも現代音楽的要素もふんだんに盛り込み、当時のセシル・テイラーが、かなりヨーロッパ音楽的方向に向いていたことも分かります。プリペアド・ピアノでの演奏などは実験音楽的な匂いもあります。しかしながら、この方向性での音楽は何故かここで打ち止め。その後のアルバムではここまでガチガチに作曲されたものは見当たりません。一応これがこのスタイルでの完成型である、ということでしょうか。ラスト曲は、堅固に作曲された「Student Studies」や「Amplitude」から一転、即興パートの多いお馴染みのパターンです。硬かったジミー・ライオンズが生き返ったかのようにのびのびと吹いてます。息のつまるような展開から一気に開放的な雰囲気へ。1966年という、まさにセシル・テイラー絶頂期における普段着姿の演奏ともいえるものがこのラストの曲。アンドリュー・シリルのパルス状のドラムが実に軽快で心地よい。


1967.7.1.
CECIL TAYLOR / Carmen With Rings (1967)

CECIL TAYLOR(p) 
At 'de Doelen', Rotterdam, Netherlands 1967.7.1.

1967年のセシル・テイラーのピアノソロで、ラジオ音源。今のところピアノソロの音源としては最も古いもので、しかも1967年のセシル・テイラーの音源自体が珍しいのでこれはかなり貴重。有名なピアノソロのブート盤LP「Praxis」は1968年7月になるからそのちょうど1年前になる。60年代のセシルのピアノソロというだけでもその珍しさにテンション上がるけど、内容がこれまた凄い。70年代のピアノソロ以降に見られるあのお決まりのユニゾンのフレーズの数々はここには無く、62年の「Live at the Cafe Montmartre」あたりの弾き方がまだ残っており、そこから発展させたような感じ。何故か所々ドビュッシーのような響きも。音のひとつひとつがキラキラしている。演奏が佳境に入ると68年の「Jazz Composer's Orchestra」でのセシルを彷彿とさせるような豪快さが見え隠れ。かなりの名演です。

1968.6.20.&21.
The Jazz Composer's Orchestra (JCOA/1968)

セシル・テイラー(p)ジミー・ライオンズ(as)アラン・シルヴァ(b)アンドリュー・シリル(ds)チャーリー・ヘイデン(b)レジー・ジョンソン(b)レジー・ワークマン(b)ボブ・カニングハム(b)ステーヴ・マーカス(ss)ジミー・ネッパー(tb)ガトー・バルビエリ(ts)他

これほど「カッコイイ」音楽はそうそう無いでしょう。実に分かりやすい曲構成で、セシル・テイラーのピアノが最大限活かされるように作られています。しかし作曲はマイケル・マントラー。そしてマイケル・マントラー自身が指揮しています。この1968年という時期はセシル・テイラーの公式録音がこの作品だけであり、貴重な音源です。1966年~68年頃、テイラー、ライオンズ、シリル、アラン・シルヴァによる最強ともいえるカルテットを中心軸にして、ここにプラスアルファという形で活動していますが、この最も凄い時期のアルバムは少ししかありません(公式録音は66年の「ユニット・ストラクチャーズ」「コンキスタドール」「スチューデント・スタディーズ(グレート・パリ・コンサート)のみ」。ちなみに60年代セシル・テイラー・ユニットにアラン・シルヴァの名前がある最後の記録が1968年の5月25日のフィルモア・ウエストでのライブ(ちなみに70年代にはまた再会します)。本作は1968年6月録音なので、これが黄金のカルテットのラスト作とも言えるのが興味深いところです。さて、このアルバムでセシル・テイラーの登場は後半のCommunications#11 Part1&2 。64年のジャズ・コンポーザーズ・ギルド発足のときにセシル・テイラーは発起人のうちのひとりとして名を連ねていたわけですが、ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラのファースト・アルバム「COMMUNICATION」(fomtana/1965)にはセシル・テイラーの名前はありません。が、そのつぎのアルバムである本作のCommunications#11 Part1&2 で初めて録音という形でJCOAにセシル・テイラーが現れたわけです。当然のことですが、いつものセシル・テイラー・ユニットとはニュアンスが違います。オーケストラのパートが隅々まできっちりと作曲されていて、オーケストラはそのままひとつの楽器として機能しており、そのオーケストラの分厚い音と全く同じ存在感を持ってセシル・テイラ-のピアノがそびえ立ちます。ピアノだけに焦点を当てた曲構成で、ピアノ協奏曲とでも言った風情です。曲自体も実に素晴らしく、とにかくカッコイイ。 

1968.7.
CECIL TAYLOR/ Praxis (CM/1968)

セシル・テイラー(p)

1968年イタリアでのライブで、ギリシア盤。70年代のソロには見られない様なパターンで弾いています。セシル・テイラーはかつてニュー・イングランド音楽院でストラヴィンスキーとバルトークの作品を勉強し、さらにデイブ・ブルーベックの使うハーモニーの複雑さ(ダリウス・ミヨー、シェーンベルクに通じる)にも惹かれたそうですが、このソロのあちこちにヨーロッパ音楽の影が見え隠れするようです。複雑なハーモニーを楽しんでいる風でもあります。両手のバランス感覚は「カフェ・モンマルトル」の頃のように華麗であり、常に音楽全体の構成が頭に入っているかのように冷静でもあります。70年代以降のお馴染みのモチーフの原形ともいえるフレーズがちらほら見えますが、手探り的な生々しさがあって、実に興味深い。

1968.10.18.
Cecil Taylor / Respiration, Live In Warsaw '68(Fundacja Sluchaj/1968)

セシル・テイラー(p)
この時期のものとしては音質は素晴らしく良い。1968年10月18日、ポーランド、ワルシャワのSALA KONGRESOWAという所で行われたWarsaw Jazz Jamboreeでの演奏。70年代の演奏と言われればそんな気にもなってくるほどに、ほぼ70年代の演奏形式。68年7月のPraxisとは随分違印象の異なったものとなっています。ちなみにこの直前の10月6日にもイタリアのBologna Jazz Festivalでソロ演奏をやっています。

1969.2.08.
CECIL TAYLOR UNIT / Grinnell College, Grinnell, IA, February 8, 1969

part1 [31:23] part2 [59:41]part3[68:24]
Cecil Taylor (p)Jimmy Lyons (as) Sam Rivers (ts,ss,, flute) Andrew Cyrille (ds)

part1がセシルのピアノソロで、part2と3がカルテット演奏。が、このカルテット演奏、音質が非常に悪く、サックスが鳴ってるときなどはセシルのピアノの細かい部分があまり聴こえません…。どうやら会場からの録音のようですが、このときの会場はマイク無しだったのだろうか…。それはそうと、part2の出だしのサックスはあまりにもカッコイイ。サム・リバースとジミー・ライオンズによるゆっくりとした掛け合い。アンドリュー・シリルとセシルが入ってくるまでのこの二人の演奏は、どこか遠くから聴こえてくるような感じの音です。こういう遠音の感触のものはチャーリー・パーカーのブート盤などでよく遭遇しますが、こちらのジミー・ライオンズとサム・リバースもまた素晴らしいです。厳しい録音状況から生まれた偶然の産物。ところでこの演奏、サム・リバースがセシル・テイラー・ユニットニ加入してから最初のライブです。あの壮絶な「The Great Concert Of Cecil Taylor」はこの5ヶ月後。「The Great Concert Of Cecil Taylor」へと至るドキュメントとしてかなり貴重といえます。

1969.7.29.
CECIL TAYLOR / The Great Concert Of Cecil Taylor(prestige/1969)

セシル・テイラー(p)ジミー・ライオンズ(as)サム・リヴァース(ts, ss)アンドリュー・シリル(ds)

LP3枚組。66年までの堅固な構成美をそのままに維持しつつ、さらに自由な幅を持った音楽へと変化。セシル・テイラーのスピード感は増々アップし、音楽全体としての勢いもただ事ではありません。この、アルトとテナーの2管という編成は実は以前にもあって、1962年11月から1964年初頭までのセシル・テイラー・ユニットがアルバート・アイラー(ts)とジミー・ライオンズ(as)の2管でした(1962年はカルテット、1963年からそこにベースのヘンリー・グライムスが入る)。そのときの音源はたった21分程度しか残っていませんが(ALBERT AYLER / Holy Ghost)、その音源と比べてみるとリズム面での変化が大きくなっているようです。サニー・マレイとアンドリュー・シリルとの違いは意外に大きく、マレイは曲の展開の可能性を開かれたものにするように、どんなリズム変化にも対応出来る程に細かくリズムを刻み、他の楽器の変化を最大限活かせるような控えめで輪郭の薄いドラム(このセンスは実に素晴らしい)なのに対し、シリルの方は前へ前へと出てきて、曲構造をも支配する程の影響力も持つような輪郭のはっきりしたドラムです。そのシリルがひたすら暴走するのがこのアルバム。本作に激しい印象があるのはサム・リバースのテナーのせいというよりもシリルのドラムのせいかもしれません。ところで、2管ということでは66年の名作「コンキスタドール」も as & tp の2管だったので、そちらとも比べてみると、ベースが2人(ヘンリー・グライムス、アラン・シルヴァ)居た「コンキスタドール」と違って、ベースがひとりも居ない本作ではシリルがその穴埋め的なことをしているようにも思えます。「コンキスタドール」ではベースもリズムのうねりを作り出すのに貢献していた為にドラムのシリルも余裕があり変化に富んだ叩き方をしていましたが、本作ではシリルだけがリズム担当(実際にはテイラーもリズム担当と言うことができるが…)だからなのか、何やら忙しい。シリルがセシル・テイラーから叩き込まれたスタイルはアフリカ経由のドラムとは反対の、西洋音楽に基礎を置くドラムなので、スネア中心に叩きまくります。扇動的です。このアルバム全体の勢いはこの扇動的なドラムがあってこそ。また、このアルバムではジミー・ライオンズのフレーズの変化にも注目です。あくまでも「フレ-ズ」を吹くジミー・ライオンズが、ここでは珍しくフリークトーンをも連発。サム・リバースとのバランスを考えたのか、あるいはテイラーの指示があったのか。第3面では、セシル・テイラーは声を出しながらのソロ演奏。まるでバド・パウエルが乗り移ったかのような演奏ですが(「ユニット・ストラクチャーズ」のテイラー自身によるライナーに "Where are you Bud ?" とあるのが興味深い。Budとはもちろんバド・パウエルのこと)、第4面ではついにそれがヴォイスパフォーマンスに発展します。また、そこから始まるサム・リバースのソプラノによるノンイディオマティックなソロも見事。

1969.7.29.
CECIL TAYLOR/ Fondation Maeght Nights (JAZZ VIEW/1969)

セシル・テイラー(p)ジミー・ライオンズ(as)サム・リヴァース(ss,ts)アンドリュー・シリル(ds)

「The Great Concert Of Cecil Taylor」のCD版で全部で3枚(Vol.3.まである)。LPからそのまま音源を落としたものらしく、音質はあまりよく無い。というか、LP盤より音が悪い。少し音がこもり気味。特に肝心のドラム(本作はアンドリュー・シリルのドラムが大きなポイント)の音が…。とはいえ、LP3枚をいちいちひっくり返したりして聴くのが煩わしいという人や、CDウォークマンとして持ち歩いて聴きたいって人、あるいはBGMとして気軽に部屋に流していたいという人にはこちらの方が便利、という言い方もある…。ところで本作はサム・リヴァース入りということで貴重なわけですが、サム・リヴァースが抜けた後の「Akisakila 」(1973年)や、本作以前の作品などと比べてみると、ジミー・ライオンズのスタイルに微妙な違いが出てきます。サム・リヴァースに感化されたのか、あるいは合わせたのか、サム・リヴァース在籍時のジミー・ライオンズのプレイは、本来の持ち味のバップ崩れよりもフリークトーンを織り交ぜてエモーショナルに吹くということが多くなっています。このスタイルはジミー・ライオンズのソロアルバム「Other Afternoons」(1969年)にもそのまま持ち込まれています。

1969.11.04.
Cecil Taylor / November 4,1969 Tivoli, Copenhagen Denmark

Cecil Taylor(p) Jimmy Lyons(as) Sam Rivers(ts, fl) Andrew Cyrille(ds)
コペンハーゲン、チボリでのライブ。これは映像が残っている。あくまでフレーズを繰り出すジミー・ライオンズ、片や様々なバリエーションで音の塊のようなものを噴射するサム・リヴァース。どちらも凄い。譜面を置いているのはこの二人だけで、セシルは珍しく譜面なしで弾いている。サム・リヴァースがテナーからフルートに持ち変えると、アンドリュー・シリルはドラムの音を控えめにするが、セシルは変わらずピアノをガンガン引き倒す。35分程度の短い演奏ながらこのグループのエッセンスが詰まったような濃い内容。 

1969.11.5.
Cecil Taylor / Fragments of a Dedication to Duke Ellington, "Newport Jazz Festival" Folkets Hus Stockholm, Sweden

Cecil Taylor(p) Jimmy Lyons(as) Sam Rivers(ss,ts,fl) Andrew Cyrille(ds)
スウェーデンのラジオ音源。69年2月からのサム・リヴァース入りセシル・テイラー・ユニットもいよいよ佳境に入ったという感のある充実したライブ。サム・リヴァースのフルートとジミー・ライオンズのアルトの2管になるところなんかとても盛り上がっていい感じです。起承転結か序破急かよく分からないけど形式がきっちりとキマってるのでかなりのリハもこなしている感じです。このグループでは69年7月からヨーロッパ・ツアーを敢行しており、7月はフランス、10月はイタリア、ポーランド、イギリス、11月はイギリス、フランス、デンマーク、スウェーデン(この音源)、ドイツ、オランダ、そしてまたドイツへと続きます。


1969.11.06.
CECIl TAYLOR UNIT / "Philharmonie", Berlin (Germany), November 6, 1969

Jimmy Lyons (as)Sam Rivers (ts,fl)Cecil Taylor (p)Andrew Cyrille (ds)

1969年のこのカルテットの音源は公式盤の「The Great Concert Of Cecil Taylor」の他にもいくつかありますが、その中でもこれなんかは比較的音質がいい方です(ピアノの音がちょっとオフ気味ではありますが…)。そして内容の方もこれまた素晴らしい。この時期のCTユニットの充実ぶりが伺えます。演奏時間が1時間にまとまってるのも聴く方としては聴きやすい。ジミー・ライオンズとサム・リバースのサックスの掛合いがとていいです。曲構成もしっかりしているので、もしこのメンバーでスタジオ録音を行っていたら、なんて思ってしまいます。途中サム・リバースがフルートを吹く合間に「あ"ぁぁ~」とか「うわ~」とか叫んだりしてるところがなんだか面白い(笑)。 

1969.11.09.
CECIL TAYLOR / Cecil Taylor Quartet in Europe (Jazz Connoisseur /1969)

セシル・テイラー(p)ジミー・ライオンズ(as)アンドリュー・シリル(ds)サム・リバース(ts,ss,fl)

1969年11月9日のライブ音源。「The Great Concert Of Cecil Taylor」から3ヶ月ちょっと経っていますが、基本的なラインとしては一緒。とはいえこちらは4人の渾然一体となった修羅場(?)が聞き物。相変わらずアンドリュー・シリルのドラムがやけくそ気味に乱れ打ちですが、ジミー・ライオンズとサム・リバースのホーン郡も熱に浮かされたかのよう。時代の熱気みたいなものも感じます。ジミー・ライオンズはちゃんとフレーズを吹くものの、やはり「The Great Concert~」と同様フリークトーンをも織り交ぜます。途中、サム・リバースがフルートに持ち替えますが、これがなかなか凄い。声を出しながら吹くという、ローランド・カークのような熱演。この翌日のドイツのライブとともに(「Live In Stuttgart」)、60年代最後のセシル・テイラー・ユニットを捉えた貴重な音源です。 

1969.11.10.
CECIL TAYLOR /Live In Stuttgart (ZOOEY RECORDS / 1966, 1969)

(CD1) 1966.10.16.
1.Conquistador 2.Second Amplitude Words
セシル・テイラー(p)ジミー・ライオンズ(as)アンドリュー・シリル(ds)アラン・シルヴァ(b)
(CD2) 1969.11.10.
1. Fragments Of A Dedication To Duke Ellington
セシル・テイラー(p)サム・リバース(ts,ss, fl)ジミー・ライオンズ(as)アンドリュー・シリル(ds)

1966年の音源とのカップリングCD。2枚目の方に1969年の音源が入っている。1969年7月29日に「The Great Concert Of Cecil Taylor(Aの第2幕)」が録音されており、その後のものはブートで11月9日のオランダでのライブ録音(「Cecil Taylor Quartet in Europe」)が出回っておりました。が、これはその翌日のもの。ドイツ録音。今のところこれが60年代セシル・テイラーを記録した最後の録音です。セシル・テイラー・ユニットにサム・リバースが加入するのは1969年2月8日のこと。4月のJCOAの録音をはさんで、この後はこのカルテットで1971年3月までつづきます。このサム・リバース時代、ジミー・ライオンズはスタイルを少し変えていきます。サム・リバースに合わせたのか、あるいは時代がそうだったのか、フリークトーンを少し織り交ぜるようになります。本来は冷静沈着に独自のアブストラクトなフレーズ(モンマルトルの頃のようなバップを崩したものではなく、この時期のフレーズのほとんどはセシル・テイラーのフレーズをサックスに置き換えたようなもの)を繰り返すジミー・ライオンズですが、ここでは何故か熱い。時代の熱さも影響しているようです。また、サム・リバースのフルートがとてもいい感じでとけ込んでいて、セシル・テイラー音楽に新たなカラーが加わったような感もあります。 


(文:信田照幸)


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