Cecil Taylor 70's セシル・テイラー 1970年代


(1950年代1960年代1970年代1980年代1990年代2000年代~)


1971.7.24.
CECIL TAYLOR / J For Jazz Broadcasts Presents Cecil Taylor (1971)

セシル・テイラー(p)

1970年~72年の間のセシル・テイラーの公式アルバムは1枚も無く、ただこのブート音源が1枚あるだけです。セシル・テイラーのスタイルの変遷の中でも非常に重要な時期なのでこの時代の音源が他にも出て来ることを切に望むわけですが、とりあえずこのアルバムがあるだけでも良しと考えることにしましょう…。この演奏、とにかく流麗なピアノで、セシル・テイラーのピアノソロの中でもこれほどの華麗さはちょっと他にありません。あまり良いとは言えない録音状態であるにもかかわらず、音のひとつひとつの説得力と存在感が抜群です。この見事な音の流れに、思わずヴィルトゥオーソという言葉が浮かんできます。あんまり凄いからか演奏の途中で観客から拍手がわき起こったりしていますが、生で見るこの演奏はさぞかしインパクトがあったことでしょう。力強さと華麗さとがバランスよく備わっています。


1971.7.24.
CECIL TAYLOR / Piano Solo At Town Hall 1971 (Free Factory)

Cecil Taylor (p) Henry Grimes (b) Jimmy Lyons(as)Andrew Cyrille (ds) 

LPで出ていた「J For Jazz Broadcasts Presents Cecil Taylor」(1971年7月24日)と「Rare Broadcast Performances 」(1965年7月19日)のCD化。まずはこのCDのメイン1971年のピアノソロですが、とにかく流麗で凄い。60年代前半(「At The Cafe Montmartre」の頃)に見られたスタイルの速度をさらに速め、そこにさらに「Indent」(1973年)以降のスタイルが渾然と混ざり合う。物凄いスピード感に圧倒されたのか観客も演奏の途中で思わず何度も拍手しちゃってます。このへん、拍手したくなる気持ちは本当によく分かる。とはいえよく聴けばそのスピードの中に幾何学的な構造とでも言いたくなるような形式がきちんと存在するわけで、聴けば聴くほどその曲構造に驚きます。セシルのピアノソロの中でも間違いなく最高峰でしょう。そして、オマケのようにくっついてる1965年の音源の方。こちらはデュオとカルテットの2曲。一曲はアンドリュー・シリルとのデュオで、セシルは弦を直接弾いたりプリペアド・ピアノのような変な音を出したりしています。「Student Studies」へとダイレクトに繋がる内容。演奏の途中でいきなり終わってしまいます。もう一曲はカルテット。翌年の「Unit Structures 」の核になるメンバーによる貴重な演奏です。
(ところでこの1965年の「Rare Broadcast Performances 」の音源、これまでのデータではドラムがサニー・マレイとされていましたが、本CDが登場したことにより、ドラムはアンドリュー・シリルというのが正式なデータのようです。上記の「Rare Broadcast Performances 」のメンバ-部分も訂正しておきました。)

1973.3.11.
CECIL TAYLOR / Indent (freedom/1973)
 
セシル・テイラー(p)
24bitリマスター盤になって、ますます切れ味鋭く聴こえてきます。名作中の名作。最初は音を点々と置くように探り探り弾いているものの、徐々にその点の数が増えて、お馴染みのモチーフが所々顔を出し、立体的な幾何学模様の建造物が出来上がっていき、最終的に雪崩のように崩れ落ちて、終了…、というパターン。これほど理路整然としているものも少ないので、セシル・テイラー作品の中でも最もとっつきやすいものでしょう。

1973.5.22.
CECIL TAYLOR /Akisakila (trio/1973)

セシル・テイラー(p)ジミー・ライオンズ(as)アンドリュー・シリル(ds)

セシル・テイラーの最高峰のうちのひとつ。日本初来日を記録したライブです。冒頭のアナウンスと客の歓声がとてもいい。当時の雰囲気をよく伝えています。演奏の方はといえば、それまでのようにテーマや仕掛けが無くなり、ある意味一本調子。一本調子とはいえころころと風景が変わります。アンドリュー・シリルは細かいパルスを叩き出しながら、セシル・テイラーの複雑に変化するピアノにピッタリあったテンポとリズム。映画『パリのセシル・テイラー』では、セシル・テイラー・ユニットのリハーサルの場面でアンドリュー・シリルがメトロノームを使いながらドラムを叩いていたのが印象的でしたが、このドラムが本作の構造を分かりやすくしていることはたしかで、ジミー・ライオンズのサックス(ときおり見せるバップの影が実に素晴らしい)だけを追っていくとあらぬ方向に飛んでいきそうになるのを、冷静なドラムによって本筋に戻ってこれるような感じになってます。セシル・テイラーのピアノは時間の区切りによってパターンを変えていっているようで、その変化の仕方はかなりゆっくり。基本的に、いくつかのパターンを組み合わせることで成り立っています。また、このライブではセシル・テイラーはドラムにもサックスにも自ら合わせるということをあまりせず、自分から先に場面展開を指示し、ドラムとサックスはそのあとについていくという形です。80分間ずーっと切れ目無く続きますが、この長さは当時のジャズ界のブラックパワー全盛の雰囲気なども思わせます。とはいえ当時のマイルスやマッコイ・タイナーらの「ごった煮」的な怒濤のパワーっていうのとは明らかに違い、ここでのセシル・テイラー・ユニットは熱気はあるけど妙に冷静。どんなに熱気を帯びた演奏であっても、いつでもクールな視点を持っての演奏。長尺の時間の中で時々刻々と微妙に変化していくというスタイルは、その後のセシル・テイラーのスタンダードです。ある意味あまりにも完璧だった60年代からの脱皮でもあり、またある意味新しいセシル・テイラー音楽の幕開けでもあるといえます。

1973.5.29.
CECIL TAYLOR / SOLO (TRIO/1973)

セシル・テイラー(p)

セシル・テイラーのピアノには、フレーズの上でいくつかのパターンがあって、ある意味それらの多様な組み合わせで出来ているます。なので、自由奔放ということからはかなり遠い所にあるわけです。このアルバムはそれらの基本的なパターンのサンプル集的な演奏みたいなもので、セシル・テイラーの基礎、とでもいったアルバム。そしてついでにセシル・テイラーの音楽が実に沢山の規則の上に成り立っていることをも証明しています。ライブではなくスタジオ録音だからこそこういったものになったように思います。ちなみにこれはピアノソロのアルバムとしては、「Praxis 」(1968年)、「J For Jazz Broadcasts Presents Cecil Taylor 」(1971年)、「Indent」(1973年)につぐ作品。

1973.11.04.
CECIL TAYLOR / Spring Of Two Blue J's (JAZZ VIEW /Unit Core /1973)
 
セシル・テイラー(p)ジミー・ライオンズ(as)アンドリュー・シリル(ds)シローン(a.k.a. Norris Jones)(b)

「アキサキラ」「ソロ」の半年後のライブ録音。ピアノソロ(16:19)とカルテット(21:29)の2本立て。このピアノソロ、なかなか良いです。ちょうど「ソロ」と「サイレント・タン」に挟まれた時期ですが、このどちらにも無いような魅力を備えた実に美しいソロです。カルテットの方は「アキサキラ」パターンではあるものの、ベースが入っているのが嬉しい。ラストのベースソロもなかなかの聞き物。ちなみにセシル・テイラー・ユニットにベースが入ったのは67年まで在籍したアラン・シルヴァ以来のこと(72年3月にBill Conway入りで1日だけライブをやってますがレギュラーグループではない)。この時代、シローンがグループ入りしたのは73年11月から74年1月までです(74年4月にはオーネット・コールマンのグループに加入。78年にはまたセシル・テイラー・ユニットに戻ってきます)。その後のセシル・テイラー・ユニットは75年いっぱいまでテイラー、シリル、ライオンズのトリオです(たまに他のメンバーが加わることもある)。このアルバム、時間的には短いですが、内容的には相当充実したものです。

1974.7.02
CECIL TAYLOR / Silent Tongues (freedom/1974)

セシル・テイラー(p)

70年代以降のセシル・テイラーのピアノソロはだいたい、基本モチーフ(テーマ)とその変奏曲(ヴァリエーション)とで成り立っています。テーマ/即興/テーマ、というのが普通のモダンジャズのパターンであり即興部分はコード進行であったりモードであったりしますが、セシル・テイラーの場合はこの即興部分がテーマの変奏曲になっており、何度も何度もいろんなパターンで変奏曲が出てきます。その変奏曲自体は長く伸ばされたり、逆に短く圧縮されたりしてはいますが、あくまでテーマという下地がありその上で成り立っているものです。つまり、セシル・テイラーは即興時には今自分が基本モチーフ(テーマ)に対応する何処の部分を弾いているのか、というのがはっきりと分かっているのでしょう。テイラーのソロに何処か枠みたいなものを感じるのも、品を感じるのも、幾何学的な構成を感じるのも、すべてこの変奏曲とスタイルに依るもの。どんなに激しく変化するところであっても、最初に示す基本モチーフの変奏であって、そこからはみ出すことはありません。…なんてことを、このアルバムを聴いたときに気づいたのでした。自分の音楽の構造を分かりやすいように解説してくれているかのようなアルバムです。

1975.8.01.
CECIL TAYLOR / Live In Orvieto '75

Cecil Taylor(p) Jimmy Lyons(as) Andrew Cyrille(ds)
Orvieto, Italy, on August 1, 1975

エルヴィン・ジョーンズ・クインテットやミンガス・クインテット、アーチー・シェップ・クインテットなども参加した1975年のイタリアUMBRIA JAZZというイベントでのセシル・テイラー・ユニットのライブ音源。音質は悪いけど内容が凄まじい。約1時間。「AKISAKILA」からつづくこのトリオですが、「AKISAKILA」の頃の手探り感はもう無くなり、非常になめらか。ジミー・ライオンズのスピード感もほとんどマックスで、とんでもないことになってます。アンドリュー・シリルのドラムのパターンは「AKISAKILA」のままのようだけど音質が悪すぎてシンバル音が聴き取りづらい。セシル・テイラーは「AKISAKILA」のときよりもフレーズのバリエーションが豊富で、JCOA(68年)のときのようなダイナミックさも見られます。 

1975.9.06.
CECIL TAYLOR TRIO / Live in Alassio '75

Cecil Taylor(p) Jimmy Lyons(as) Andrew Cyrille(ds) 1975.09.06.

1976年からはラフェ・マリクとデヴィッドSウェアが加わりますが、1975年は基本的にこの3人。で、このメンバーで「行くところまで行く」途上の勢いがあります。音質はポータブルテレコで録音したような感じでやや悪いけど(特にドラムが籠ってる)、熱気ある演奏なのでそれなりに楽しめます。セシルの左手(低音部)に注目すると、セシルがひとつのモチーフをどんどん形を変えて展開させながらも、常に基本へと帰る瞬間があることが分かります。 

1975.11.06
Cecil Taylor / live at berliner jazztage , philharmonie berlin 1975.11.06.

1) untitled improvisation 83.00
Cecil Taylor(p) Jimmy Lyons (as) Andrew Cyrille(ds)

1972年にサム・リヴァースが抜けた後、セシル・テイラー・ユニットはセシル、ジミー・ライオンズ、アンドリュー・シリルの3人を基本としてツアーを行う。たまにSirone(b)やArthur Williams (tp)などが加わることがあるものの、1974年10月以降は完全に3人だけになる。そして1975年は1月~7月がN.Y.、その後イタリア(トリノ~アンティーヴ~グッビオ)、イギリス(ロンドン)、スイス(Willisau)、そしてまたイタリア(Alassio~Florenz)とヨーロッパのツアーがあり、10月にはカナダ(Toronto)に行き、 その後11月にベルリンへ。その音源がこれ。翌年の76年にはシリルが抜け、マーク・エドワーズ、ラフェ・マリク、デヴィッド・S・ウェアが加わって新たなセシル・テイラー・ユニットが結成されるので、この75年のベルリンの音源はセシル、ジミー・ライオンズ、アンドリュー・シリルのトリオの最後を飾るライブ ということが言えます。そんなわけでこの音源ですが、同じ編成の「AKISAKIRA」(1973年)と比べると、演奏がさらに激しくなっています。 特にジミー・ライオンズとアンドリュー・シリル。ジミー・ライオンズはフリークトーンを連発し、シリルのドラムは機関銃のような連打。70年代前半のセシルを象徴するこのトリオのラストは、まるで火山の大噴火のごとく爆発。この熱さは翌年の新CTユニット(「Dark To Themselves」など)にそのまま持ち込まれて行きます。ちなみに、セシル・テイラー・ユニットのレギュラーのドラムはこの75年までがアンドリュー・シリル、76年がマーク・エドワーズ、77年がビーヴァー・ハリス(正確には76年12月~77年)、78年前半がロナルド・シャノン・ジャクソン、という変遷になります。

1975. (date unknown)
Cecil Taylor Trio / Philadelphia 1975

Cecil Taylor (p) Jimmy Lyons (as) Andrew Cyrille (ds)
The Foxhole Cafe, Philadelphia, USA

音質良好。ジミー・ライオンズのゆったりとしたメロディから始まりますが徐々にスピードが上がっていって、物凄いテンションに…。73年の「Akisakira」と同じメンバーの演奏ですが、内容的には全然違います。やってる曲が違うので当たり前といえば当たり前ですが…。「Akisakira」ではやや一本調子だった(そこが良かったんですが)アンドリュー・シリルですが、ここではややドラマチックに盛り上げる所(セシルだけのソロの直後など)などもあったりします。セシルのピアノも「Akisakira」よりさらにスピード感が増した感じで、ちょっと凄い。このピアノをよく聴いていると、いくつかの同じフレーズがよく出てきます。これらのモチーフがあらかじめ作曲されたものである証拠ですが、ひとつの具体的で単調なメロディとして展開するのではなく、それぞれのモチーフをあちこちに散らばらせて抽象的なメロディとして展開させているので、普通の作曲というのとは随分違うことが分かります。

1976.4.15.
Cecil Taylor Unit / The Power Center Michigan State University at Ann Arbor 15th April, 1976

Original broadcast WCBN-FM / National Public Radio "Jazz Alive"
1 Improvisation [32:10]
2 Cecil Taylor announcement [00:18]
3 Petals (incomplete) [13:46]
Cecil Taylor(p) Jimmy Lyons(as) David S. Ware (ts) Raphe Malik(tp) Marc Edwards(ds)

「Dark To Themselves」と同じメンバーで、「Dark To Themselves」(1976.6.18)の2ヶ月前の録音。これは凄いです。1曲目はマーク・エドワーズのドラムソロ~デヴィッド・S・ウェア&セシル~ジミー・ライオンズ&マーク・エドワーズ&セシル~ラフェ・マリク&セシル、という構成なんだけど、これがとにかく素晴らしい。まずデヴィッド・S・ウェア。ウェアのルーツのひとつともいえるアーチー・シェップをさらに飛び越えて、ベン・ウェブスターが浮かんでくるような演奏。ウェアはこの時代が最も素晴らしかったのでは、なんて思わせるほど。ウェアのソロ作でもこれほど素晴らしい演奏は無いのではないか。つづくジミー・ライオンズとドラムとセシルのトリオはとにかく熱い。それまでトリオではアンドリュー・シリルがドラムだったけど、マーク・エドワーズ版のトリオも物凄いです。そして後半のラフェ・マリクとセシルのデュオ。ここにおけるセシルのピアノはどことなく「モンマルトル」の頃の華麗さが見られます。変幻自在に繰り出される不思議な和音の数々が非常に美しい。この部分はちょっと他のアルバムにも無いような美しさ。3曲目は全員での演奏で、ホーン群がユニゾンでテーマを奏でてから一気に混沌へと突入。がしかし、何故か途中で録音は終わってしまいます。 

1976.6.18.
Cecil Taylor/Dark To Themselves (enya/1976)

セシル・テイラー(p)ラフェ・マリク(tp)ジミー・ライオンズ(as)デヴィッド・S・ウェア(ts)マーク・エドワーズ(ds)

全1曲。トータル約1時間。特に最初の5分~6分は波のようにうねるセシル・テイラーのピアノと3管との絡みが美しい。その後のラフェ・マリクの長いソロとマーク・エドワーズのパーカッシブなドラムも素晴らしい。マーク・エドワーズは、これまでセシル・テイラーのグループを支えてきたアンドリュー・シリルとはまた違ったドラム奏法ですが、フレキシブルにセシル・テイラーのフレーズに対応しています。ただ問題はその後のデヴィッド・S・ウェアの長いソロ。コルトレーンのオムよりも、あるいはミンガス・アット・カーネギーホールでのローランド・カークよりもさらに無意味な咆哮。これをセシルのピアノが音楽に変えてしまう様は鮮やか。セシルのバランス感覚が全体の構成を支えています。

1976.6.30.
Cecil Taylor Unit / Onkel Po's Carnegie Hall

Cecil Taylor (p) Jimmy Lyons (as) David S. Ware (ts) Raphe Malik (tp) Marc Edwards (d)
Hamburg, Germany, June 30, 1976

「Dark To Themselves」の12日後の演奏。ドイツのラジオ局Onkel Poからのエアチェック音源で、始めと途中にアナウンスが入ります。この音源、とにかくマーク・エドワーズのスウィング感が凄い。「Dark To Themselves」でもそうですが、前任のドラマーのアンドリュー・シリルとのスタイルの違いが際立ちます。「スタタタタ」というアンドリュー・シリルのスマートなスタイルに「ズドドドド」という重量級のノリを加えたのがマーク・エドワーズ。デヴィッド・S・ウェアとラフェ・マリクという「にぎやか」なメンバーがこの マーク・エドワーズの重量級ドラムの上に乗るとうるさくなりそうなもんですが、セシルのバランスの取れたピアノが強烈に全体を包んでいるので不思議にまとまっています。 にしても凄いノリだ…。

1976.8.20.
CECIL TAYLOR / Air Above Mountains <buildings within> (enya/1976)

セシル・テイラー(p)

「ダーク・トゥ・ゼムセルヴズ」の2ヶ月後の録音。ウィーンでのライブです。このライブと同日にフリードリヒ・グルダとも共演しています(グルダ2枚組LP「Nachricht vom Lande」)。「インデント」「ソロ」「サイレント・タン」というソロの名作を次々と発表した後だけにもうすっかり手慣れた感じだけれど、やはり切羽詰まったような切迫感みたいなものがあります。これが50分ずーっとつづくんだから…、ファン以外にはキツイかもしれません(笑)。それまでの冷徹一辺倒だった弾き方から、やや表現主義的な熱を感じさせる演奏になっているのは一曲が長いからでしょうか。また、セシル・テイラーの使うフレーズのパターンも相当多様化してきたし、緩急の付け方もかなり大きなスケールで捉える感じになってきています。そして不思議なのは、小さなスパンのフレーズの構成と全体の構成とがフラクタルになっているような印象があること。部分と全体とが相似形というのは、なんとも不思議。A~B面合わせて1曲。約50分間ずっとつづく長い長いソロの中、いくつかの大きな起伏があってスリリングです。ちなみに、うちにあるオリジナル盤LPの裏面には「This is an adjunct chapter to Mysteries, a book to be published about methodological concepts of black music.」ということでAqoueh R-Oyoと題されたセシル・テイラーによる長い文章が書かれています。「ブラックミュージックの方法論的概念」ですか…。 

1976.8.20.
CECIL TAYLOR / Air Above Mountains (ENJA/1976)

セシル・テイラー(p)

CD化に際し、大幅に内容が増えました。ちなみにLP盤の方はPart Oneが25:40、Part Twoが25:37。で、このCDはPart Oneが44:22、Part Twoが31:53。このCDのPart Twoの部分が未発表音源。このボーナストラックだけ別のアルバムとして発売してもようさそうなものですが、なにはともあれ嬉しいCDです。で、そのボーナストラック(Air Above Mountains Part Two)ですが、本編(Air Above Mountains Part One)と同じように飛ばします。例によっていくつかのモティーフ(あらかじめ作曲された細かいパート/センテンス)を繋ぎ合わせていって構築するパターンですが、それによって出来上がる音の壮大なスケールとめくるめく疾走感が凄い。LPとはジャケも違うし、これはこれで別の作品として揃えるべきアルバム。

1976.8.20.-22.
Friedrich Gulda / Nachricht vom Lande (Brain / 1976)

フリードリヒ・グルダ(p,key,recorder,bongos,whistle) セシル・テイラー(p)バール・フィリップス(b)ジョン・サーマン(bs,ss)ステュ・マーティン(ds)ウルスラ・アンダース(ds)アルバート・マンゲルスドルフ(tb)

グルダとセシル・テイラーとの共演ということで、この2人がフロントで猛然とソロの応酬をしてるかと思いきや、そんなことはぜんぜん無くて、意外にすれ違い的印象。セシル・テイラーはいつもどおり個人的なソロといった風情で、あまり周りに振り回されることもありません。一方、グルダはといえば、キーボード弾いたりリコーダーを吹いたりと、なんだか自由です。それよりも、ジョン・サーマン・トリオとセシル・テイラーといった視点で見ると、面白味があるかも。ちなみに録音状態はあまりよくありません。アルバムというよりも音楽祭の記録といったニュアンス。グルダにもフリージャズのリーダー作がありますが、セシル・テイラーとのデュオなんていうアルバムがあったらなあ…、なんてことを思ってしまいます。ちなみにセシル・テイラーの70年代異種交流戦はここから始まります。この後、メリー・ルー・ウィリアムス(77年)、トニー・ウィリアムス(78年)マックス・ローチ(79年)らと共演。

1976.11.6.
Cecil Taylor / Mysteries: Untitled (Black Sun Music)

1:Cecil Taylor(p)
2-4(1962):Cecil Taylor(p) Jimmy Lyons(as)Archie Shepp(ts) Henry Grimes(b) Sunny Murray(ds)Roswell Rudd(tb)Ted Curson(tp)
1976年のセシル・テイラーのピアノ・ソロが2019年になって出てきた(2曲〜4曲目は1962年のGil Evans「Into the Hot」収録の音源)。この2ヶ月前に録音された「Air Above Mountains <buildings within>」と同じように、滑らかな音の繋がりがジェトコースターのように疾走する。音の波が押し寄せては去っていく、ということを繰り返す。あまりの凄さに演奏の途中で観客が拍手をしてたりする。かつてセシル・テイラーは「時間というものは線的なものではなく、私には循環する形をもつもののように思われる」と、とあるクリニック(1988年3月9日)にて語ったが、この言葉がピッタリ当てはまるような演奏だ。ちなみに1976年には他にもソロ演があり、6月の4日、7日、10日、7月の20日、22日、24日、30日、31日、にそれぞれソロライブの記録がある。

1976.12.11.
Cecil Taylor / 1976.12.11, Village Gate, New York, NY

Cecil Taylor(p) Jimmy Lyons(as) David S. Ware(ts) Raphe Malik(tp) Beaver Harris (ds)
デヴィッド・S・ウェア入りのセシル・テイラー・ユニットは1976年の1月から始まる。これは12月のライブ音源(ちなみにデヴィッド・S・ウェアが最初にセシル・テイラーのセッションに参加したのは1974年3月12日のNYカーネギーホールでのCecil Taylor Unit Core Ensembleが最初)。ウェア参加のアルバムでは76年の「Dark To Themselves」があるけど、これはそこからドラムが変わっただけの編成。このグループは翌77年4月まで続いたようだ。で、この音源だけど、客席からの録音のようで、ピアノの音がオフ気味のためセシルの微妙なニュアンスが聴きづらく、そこが惜しいところ。とはいえ「Dark To Themselves」と同じ熱気に満ちており、聴きごたえは十分。

1977.4.17.
Mary Lou Williams & Cecil Taylor / Embraced (Pablo/1977)

セシル・テイラー(p)メリー・ルー・ウィリアムス(p)ボブ・クランショウ(b)ミッキー・ロッカー(ds)

スピリチュアルズ(黒人霊歌)、ラグタイム、ブルース、スウィング、ロックンロール、バップ、モードジャズ…、といった黒人音楽の流れをメリー・ルー・ウィリアムスがつぎつぎと弾いていくそのすぐ横で、セシル・テイラーが自分のイディオムで自分の音楽を展開していく。黒人音楽史の中でセシル・テイラーの音楽はどのような位置づけにあるのか、ということを、音によって解き明かしていくような展開のアルバムです。基本的にセシル・テイラーの音楽はブラック・フィーリングが希薄なわけですが、黒っぽさに関しては最強ともいえるメリー・ルー・ウィリアムスの音との対比によって、逆にセシル・テイラーの黒人音楽の独自の解釈という視点が浮かび上がります。要するに、ブラックミュージックを解体していくことによりブラックミュージックから情緒的なベタつきを排した、それがセシル・テイラーのイディオムの最初の原点となり、それをさらにバロック的ともいえるバランス感覚で複雑に組み合わせて、独自の音空間を作り上げる。それが現代音楽的に聴こえるのは単なる偶然でもなんでもなく、コンセプトの上に成り立っている音楽だからこそなわけです。かつてミルフォード・グレイヴスがセシル・テイラーの音楽を批判していたこと(『JAZZ MAGAZINE 』1977年10月号および11月号の記事参照)がありましたが、そもそも根本的にこの両者の音楽に対するスタンスがまるで違うのだから当然といえば当然のこと。呼吸や血液の循環といった人間の自然現象からリズムを捉えていくミルフォード・グレイヴスは、エネルギーといった視点にこだわるからこそセシル・テイラー批判に繋がったわけです。さて、このアルバム、せっかくメリー・ルー・ウィリアムスがいるのに、どっから聴いてもセシル・テイラーの動きばかりが気になります。メリー・ルーのファンにとっては珍盤というよりは、無かったことにしておきたいようなアルバムなのではなかろうかと思うのですが…。セシル・テイラーのファンにとっては極めて貴重な実験アルバムであり、最高に楽しめるアルバムです。 

1978.4.3-6.
CECIL TAYLOR / The Cecil Taylor Unit (New World/1978)

セシル・テイラー(p)ジミー・ライオンズ(as)ラフェ・マリク(tp)ラムゼイ・アミーン(vln)シローン(b)ロナルド・シャノン・ジャクソン(ds)

シャノン・ジャクソン時代の4作の中ではこれが一番最初の作品で、内容的にも充実しています。勢いのままに突っ走るというのとは正反対で、実に冷静沈着な音のたたずまいです。また、「Conquistador !」(1966年)、「Jazz Composer's Orchestra」(1968年)以来のスタジオ録音でもあります。だもんで、セシル・テイラーが意図した仕掛け(作曲に於ける構造)がよく分かる。時代とともに多少大味になった曲構造(1976年の「Dark To Themselves」で顕著)を、もう一度細かく練り直し、細かいパーツ(Unit)をひとつひとつ積み上げてひとつの大きな構築物(Structures)を創るかのように構成されております。ところで、このアルバムのポイントもまた他の3枚と同じようにドラムのシャノン・ジャクソン。前年のメリー・ルー・ウィリアムスとの共演盤をふまえれば、このシャノン・ジャクソンのドタバタしたシャッフルビートを使うドラムもまたアリなのかもしれません。シャノン・ジャクソン時代の4枚の中では、このアルバムがシャノン・ジャクソンが最もよく機能しているように感じます。非常に細かく作曲されているのでドラムパートにそれほど自由さが無いからかもしれません。また、本作ではホーンの2人も素晴らしく、全体を通してバッチリ決まっているユニゾン部の他にも、ジミー・ライオンズの力強いソロが美しく響きます。

1978.4.
CECIL TAYLOR / 3 Phasis (new world records/1978)

セシル・テイラー(p)ジミー・ライオンズ(as)ラフェ・マリク(tp)ラムゼイ・アミーン(vln)シローン(b)ロナルド・シャノン・ジャクソン(ds)

シャノン・ジャクソン入りのセシル・テイラー・ユニットは1978年限定で、この年にアルバムを4作分録音しています。そして本作は「The Cecil Taylor Unit」とともにスタジオ録音(1978年4月の録音)。だからなのか、結構細かく作曲されているようで、ブルーノート時代と似たような枠があり、どの楽器もその枠からは一歩もはみ出すことはありません。また、構成が非常にしっかりとしていて、全体像がよく見えてきます。このユニットのポイントはシャノンン・ジャクソン(78年2月に加入)。時折出て来る定形シャッフルビート(8ビート)の野暮ったさに耐えられるかどうかがこのユニットを聴けるかどうかの分かれ目(この「どブルース」の展開にめげず、自分のプレイに徹するジミー・ライオンズに拍手!)。とはいえセシル・テイラーの音楽に新しい要素を持ち込んだことは確かです。サニー・マレー~アンドリュー・シリルの細かいパーカッシヴなスタイルはマーク・エドワーズ(「Dark To Themselve」)でほぼ限界まで細分化され、新しいビートが必要だったのかもしれません(ちなみにマーク・エドワーズの後の76年~77年にビーヴァー・ハリスがドラムで入りますがアルバムとしては残っていません)。ところでこの78年前後というのはセシル・テイラーに大きな動きがあった時代で、アルバムで残ってるだけでも76年にはフリードリヒ・グルダと共演、77年にはメリー・ルー・ウィリアムスと共演、79年にはトニー・ウィリアムスと共演、そして同じく79年マックス・ローチと共演、…と、それまで自分のグループだけでしか演奏しなかったセシル・テイラーが外へと飛び出し、大物達と共演した時期です。この動きは、Dark To Themselve(76年)などに見られるようなグループスタイルでのお決まりのパターンを打ち破って変化を起こし、また、さらなる新しい音楽語法を創造することになります。本作において、ある意味ガチガチに曲の構成を作り込んだのも、この一連の動向を見ると分かる気がします。結局シャノン・ジャクソンは78年6月を最後にセシル・テイラー・ユニットから消えてしまいますが(参加期間はわずか5ヶ月程度です)、この特異な時期の音源がアルバム4枚分も残ってるというのはなんだか不思議です…。 

1978.6.03.
CECIL TAYLOR / Live in The Black Forest (MPS/1978)

セシル・テイラー(p)ジミー・ライオンズ(as)ロナルド・シャノン・ジャクソン(ds)ラフェ・マリク(tp)ラムゼイ・アミーン(vln)シローン(b)

細切れにつぎつぎにリズムを変えていくシャノン・ジャクソン。それまでのサニー・マレイやアンドリュー・シリルらとは違ったリズムの取り方です。サニー・マレイやアンドリュー・シリルが同一次元上に複数のリズムを浮かび上がらせるのに対し、シャノン・ジャルソンはひとつのハッキリした単純なリズムをどんどん種類を変えて繋ぎ合わせていきながら独特のグルーヴ感を演出します。実にシンプルな発想で個性的でもあるけれど、かつての洗練されたノリは消え失せ、ややバタ臭い気もなきにしもあらず。特に2曲目の冒頭などはシャノン・ジャクソン時代ならではの展開です。ところでこのライブでは、ジミー・ライオンズ、ラフェ・マリク、ラムゼイ・アミーンらのソロに絡んでいくセシル・テイラーがなかなか凄い。楽器のまわりでダンスでもしているかのように軽やかです。このアルバムの前年にメリー・ルー・ウィリアムスと共演したときにもこのような絡み方でした。セシル・テイラーのフレーズに暗さは無く、軽やかで陽性の印象があるのは、音楽の中にダンスの要素をも持ってきたところから来るものなのかもしれません。シャノン・ジャクソン時代のアルバムは、セシル・テイラー・ユニットの歴史の中でもやや異質ではあるけれども、だからこそ新鮮さみたいなものを感じます。ちなみに、このシャノン・ジャクソン時代のすぐ後にはリズムセクションにサニー・マレイとアラン・シルヴァという最強メンバーをまた戻してきて「It Is In The Brewing Luminous」(1980)という一大名作を打ち放つことになります。 

1978.6.10.
CECIL TAYLOR UNIT / Koln 1978

Date: June 10th, 1978  Place: Koln
1) Third Part Of One (Taylor) 22:00
2) Third Worlds making (inc.) (Taylor) 33:00
Cecil Taylor (piano) Jimmy Lyons (alto saxophone) Raphe Malik (trumpet) Ramsey Ameen (violin) Sirone (bass) Ronald Shannon Jackson (drums)

1978年2月に始まるロナルド・ジャノン・ジャクソン入りのCTユニットはわずか半年ではあるものの2枚のスタジオ録音盤を含む計4枚の公式盤を残しています。で、この6月10日の演奏がこのメンバーでのCTユニットの最後の公演。なのでこの演奏は総決算的な意味合いもあるのではないか、などとも考えてしまいます。この演奏に限らず、シャノン・ジャクソン入りのCTユニットの特徴は、リズムの分かりやすさ。これまでのCTユニットのドラム(サニー・マレー~アンドリュー・シリル~マーク・エドワーズ)のように細かいものではなく、極めて大雑把で分かりやすいドラムです。このライブでも、定形ビートによるブルースみたいな演奏が入ります。セシルを含む全員がこのリズムに合わせて演奏するのが不思議といえば不思議ですが、そもそもは4ビートだったセシル・テイラーを考えれば別に不思議ではないのかもしれません。とはいえこの70年代後半という時代のセシル・テイラーを考えると、何故この半年間だけこのような分かりやすい定形ビートを採用した(一部だけですが)のか、やはりちょっと不思議です。数あるセシル・テイラーの音源の中でもこのメンバーの時代のものは非常に分かりやすいので、セシル・テイラーがよくワカラン、という人でも結構聴けるのではないでしょうか。さて、この音源ですが、やはりシャノン・ジャクソンがキーパーソン。おそらくセシルの合図で出しているのでしょうが、シャンン・ジャクソンのリズムチェンジから曲調を変えて展開させていきます。それはそうと、ここではシローンのベースに注目。特に2曲目におけるシローンの圧倒的なベースに度肝を抜かれます。ほとんど主役です。 

1978.6.14.
CECIL TAYLOR / One Too Many Salty Swift And Not Goodbye (hat ART/1978)

セシル・テイラー(p)ジミー・ライオンズ(as)ロナルド・シャノン・ジャクソン(ds)ラムゼイ・アミーン(vln)シローン(b)

シャノン・ジャクソン時代のアルバムは4作あって、本作以外のアルバムはどれも構造が堅固且つ明確で、各プレイヤーはその構造を構成するひとつのパーツのような存在でしたが、本作ではそれぞれのプレイヤーがのびのびとソロを取り、メンバー全員にスポットライトが当たっているかのようです。このシャノン・ジャクソンが居た時代(1978年2月~6月)のセシル・テイラー・ユニットというのは、その前後にセシル・テイラーの異種交流戦アルバム(76年にはグルダ、メリー・ルー・ウィリアムスとの共演盤、79年にはトニー・ウィリアムス、マックスローチとのデュオ盤がある)があったりして、ちょうどセシル・テイラーが自身のユニットの外へと飛び出していった時期。そんな時期だからこそ、セシル・テイラー・ユニットの歴史の中でも極めて珍しいスタイルであるシャノン・ジャクソンを採用したのではないか、なんて思うわけですが…。例えるならば、ジャズ・アット・マッセイホールでのビバップ・セッションに、間違ってチャック・ベリーが入ってしまったような、そんな感じか(笑)。いや、ちょっと違うか…?何はともあれCD2枚分、時間にして約150分のあまりにも濃い内容のアルバムです。好調のジミー・ライオンズのプレイに注目。 

1979.12.15.
MAX ROACH & CECIL TAYLOR/ Historic Concerts(soul note/1979)

セシル・テイラー(p)マックス・ローチ(ds)

物凄いライブです。マックス・ローチの耳の良さに驚きます。最初は2人とも自分のリズムで自分のノリを保っていますが、途中からまずローチがセシル・テイラーのリズムに同調します。そしてしばらくすると今度は逆にセシル・テイラーがローチのリズムに同調する。これが最初は長いスパンで、しかし徐々に短いスパンで交互に繰り返されていきます。まさに音楽的対話。しかも単なる対話を超えた新しい次元の音が構築されていく様はまさに圧巻。ローチがあくまでもジャズの流儀でドラムを叩くところなんかは、チャーリー・パーカー時代から第一線でやってきたプライドを感じさせ、ちょっと感動的。セシル・テイラーとマックス・ローチはこの後何度もデュオでのライブを行っていますが、それらの音源もいつか出て来て欲しいところです。

1979.
TONY WILLIAMS / The Joy Of Flying (columbia/1979)

セシル・テイラー(p)トニー・ウィリアムス(ds)

1曲だけ共演。トニ-・ウィリアムスからの要望で実現したらしい。ブルーノートからの60年代の2つのリーダー作「Life Time」「Spring」からも分かるように、そもそもトニー・ウィリアムスはデビュー当時からフリー寄りだったわけです。また、1965年4月9日には、あのジャズ・コンポーザーズ・オーケストラに加わってライブをしています(このときのメンバーにはジミー・ライオンズやサム・リバースもいます)。しかしセシル・テイラーとはずっとすれ違いで、60年代には共演はありませんでした。60年代半ば頃のトニーが本当に凄かった時代に共演が実現していれば…、なんて思うのは僕だけではないはず。とはいえトニーはトニー。60年代の切れ味の鋭さは無いものの、70年代後半のトニーは重心の低い迫力があります。そんなわけでこの演奏なんですが、この時代におけるトニーの性質のようなものがよく分かります。セシル・テイラーは何も変わらずにいつもの演奏。そこに、やや派手気味なトニーが絡みます。セシル・テイラーはそんなトニーを余裕を持って見ているかのように冷静。トニーはここぞとばかりに短い時間の中でいろいろとアクセントをつけてみたり、静かに叩いてみたりと、何かと忙しい。念願のセシル・テイラーとの共演ということで、あれもこれもとアイデアを片っ端から試してみたのだろうか。セシル・テイラーとマックス・ローチとの共演のように長時間の演奏だったらこうはならなかったであろうことは容易に想像出来ます。しかしながら、この時代の低音主体のトニーとセシル・テイラーとの絡みはいろんな意味で興味深く、他にテープは残っていないのかと非常に気になるところです。1985年2月22日の新生ブルーノート記念ライブ「ワンナイト・ブルーノート」では、共演こそなかったもののトニーとセシル・テイラーの両者が参加してましたね。 


(文:信田照幸)


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