Rockpart6)

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Feargal Sharkey / Feargal Sharkey (1985)

フィアガル・シャーキーの初ソロ作。70s UKパンクバンドのアンダートーンズの元ボーカルとのことだけど、これを買った当時(1985年。高校生のとき)は何も知らなかった。というか今でもフィアガル・シャーキーに関してはこのLPレコードのライナーノーツに書いてあること以外何も知らない。で、何故このレコードを買ったのかも全く覚えて無いのだが、ひょっとしてデペッシュモードやヤズー絡みかもしれない。このアルバムを出す前に元デペッシュモードで元ヤズーのヴィンス・クラークとともにアセンブリーというグループを作ってフィアガル・シャーキーがそこでボーカルを担当していたのだ。僕はデペッシュモードが好きだった。

で、このアルバムなんだけど、A面2曲目「You Little Thief」(邦題は「キュートな恋ドロボー」)が凄い。これは今聴いてもほんとにカッコイイ。ロックは単純なノリの曲であればあるほどカッコイイという法則があるような気がするけど、これもまた単純でクセになる。少ししゃがれた感じの独特のボーカルもとてもいい。ちなみにこの曲の作者はトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのベンモント・テンチ。

1曲目の「A Good Heart」はイギリスでナンバーワンになった大ヒット曲。日本では全然売れなかったと記憶している(邦題は「夢の恋人」)。だいたいラジオでフィアガル・シャーキーなんて流れたのを聴いたことが無い。このアルバムだってたぶん日本ではあまり売れなかったんじゃなかろうか。

Grease : The Original Soundtrack From The Motion Picture (1978)

映画「グリース」はジョン・トラボルタとオリビア・ニュートン・ジョンが主演の50'sが舞台となるミュージカル映画。僕は10代のときにこれを何十回も繰り返し繰り返し見たくらいに大好きで、特にラストの卒業カーニバルの部分は100回くらい見た。で、これはその映画のサントラ。音楽はほとんど50's風に統一されている(最初の導入部分に流れるフランキー・ヴァリの「Grease」だけちょっと70's風)。

で、何といっても「You're the One That I Want(邦題:愛のデュエット)」なのだ。ジョン・トラボルタとオリビア・ニュートン・ジョンのデュエット曲。映画では卒業カーニバルで変身して出てきたサンディー(オリビア)にダニー(トラボルタ)が驚き二人で歌って踊るという史上最大に能天気なシーンで使われているとても印象的な曲。僕はとにかくこれが昔から大好きで、聴くだけで気分がよくなってしまう。オリビアの歌が凄いのは当然として、ここではジョン・トラボルタがとにかく凄い。サビ部分("You're the One That I Want"のところ)の最後で声を裏返してファルセットになるところなんか本当に最高だ。

映画ではその「You're the One That I Want」に引き続いて、まるで70年代のジュニア小説のBGMのような馬鹿みたいに明るい曲「We go together」でラストとなるわけだが、この流れが映像も音楽も素晴らしすぎ。なのにこのサントラではこの2曲がかなり離れた所に配置されてて、そこが少し惜しい。映画と同じ順で聴きたいものだ。

また、映画の中でガレージで歌われる「Greased Lightning」も凄くいい。ここもまた音だけでなく映像も欲しいところ。「サタデー・ナイト・フィーバー」で慣らしたジョン・トラボルタのちょっとおかしなダンスが最高すぎる。エルヴィス風の歌い方もいい感じにふざけてて最高だ。

ところでこのアルバムには結構たくさんシャ・ナ・ナの演奏が入っている。映画にも登場するので当然なのだが、でも本来のシャ・ナ・ナとはちょっと違って弾け具合が足りない感もある。お行儀がよすぎる感じ。シャ・ナ・ナは元から50'sのロックンロールやドゥーワップのカバーなどをやり続けているので「グリース」にはピッタリだけど、たとえばシャ・ナ・ナの1969年のアルバム「Rock And Roll Is Here to Stay」のように雑でかっこいいドゥーワップ的なボーカル技術で圧倒するようなものや、1973年のライブアルバム「From The Streets Of New York」のようにお馬鹿全開のものを「グリース」でもやって欲しかったかなと。そういえば「You're the One That I Want」の始まり方がシャ・ナ・ナの「Rock And Roll Is Here to Stay 」の1曲目「Remember Then」と同じなのが嬉しい。

ちなみに「グリース」のオリジナルは1971年のミュージカル。「グリース」という題名は1967年のブロードウェイ・ミュージカルの「ヘアー」(1979年に映画化もされた。「アクエリアス」で有名)へのアンチとして付けられたという説もある。グリースとは50'sの若者たちが髪型をリーゼントにするときに使う整髪料のことで、ミュージカル「ヘアー」のヘアーとは60's~70'sのヒッピーの長髪のことだった。僕は「ヘアー」の方も好きです。「グリース」はもう何十年も見てないが、またそろそろ見たくなってきた。

The Rolling Stones / Undercover (1983)

ストーンズは80年代が最高だ。中でも「刺青の男」「スティルライフ」「アンダーカバー」といった81年から83年にかけてが特に最高で、中学高校時代にリアルタイムでこれらの作品に触れることが出来て本当によかったと思っている。

「アンダーカバー」を最初に聴いたのはラジオ(渋谷陽一のサウンドストリート)で、1曲目の「アンダーカバー・オブ・ザ・ナイト」が流れてきたときにはちょっと意外に感じたものだ。何といってもイントロの電子ドラム(スライ・ダンバー)で「え?」と思った。当時は「刺青の男」と「スティルライフ」に慣れてたし他にも昔の名曲群もよく知ってたので、流行りのニューウェイブ風の音が妙に感じたのだ。

とはいえこの曲はかっこよかった。何といってもリズムがカッコイイ。よく聴くとスピーカーの左右から面白いパーカッションの音が効果的に入ってるし、ベースも凄いし、とにかくノリがいい。ベースのグルーヴ感などはどこかトーキング・ヘッズの「リメイン・イン・ライト」っぽさもある。というわけで僕はすっかり気に入ってしまった。ちなみにこの曲のリズムパターンはミック・ジャガーの2枚目のソロアルバム「プリミティブ・クール」(1987年)からのシングル曲「レッツ・ワーク」でも使われている。

ところで、そのラジオで「アンダーカバー・オブ・ザ・ナイト」が流れた翌日、学校(高校1年だった)でその話題になり「あのストーンズはどうなのか?」とクラスメイトが不満を漏らしてたのを覚えているが、そのクラスメイトはアース・ウィンド&ファイアの新譜「エレクトリック・ユニバース」が出たときにも同じように不満を漏らしていた。要するにシンセ化に納得いかないということなのだ。ストーンズともあろうものが、なぜシンセ・ドラムなのかということだ。僕は特に気にならなかったので軽く流してしまったけど、このようにシンセ化に不満を感じる層は多かったようで、数年前に出た雑誌「昭和40年男」の記事にもストーンズの「アンダーカバー」がラジオで初オンエアされたあと学校で似たような不満を語る人達の話が書いてあった(たしか初見健一氏の文章だったと思う)。こういう人達にとってストーンズはガチガチのロックンロールでなければならず、ニューウェイブなんかに迎合してる場合ではないということなのだろう。それはそれでよく分かるんだけど、それとは別にこの曲がカッコイイことには変わりない。

で、「アンダーカバー・オブ・ザ・ナイト」の他には2曲目の「シー・ワズ・ホット」もとてもいい。これは比較的ストーンズらしいロックンロールなのではないか。ミックのボーカルが気持ちいい。また、ストーンズのアルバムには必ず1曲キースがボーカルを取ってる余計な曲が混ざっていてそれがいつもイラついて嫌なのだが、この「アンダーカバー」に入ってるキースのボーカル曲「ワナ・ホールド・ユー」はそれほど気にならない薄い曲なので、軽くスルー出来るのがいい。



Ultravox / Systems of Romance (1978年)

ジョン・フォックス時代最後のウルトラヴォックスのアルバム。ベースが物凄くて今でもとても印象に残っている。

僕が最初に聴いたウルトラヴォックスは1980年頃テレビCMで流れた「ニュー・ヨーロピアンズ」。このときにはもうジョン・フォックスからミッジ・ユーロに変っていた。この「ニュー・ヨーロピアンズ」は当時のラジオのリクエスト番組でもかなり上位まで行った人気曲で、僕もTDKのカセットテープにラジオからエアチェックした。この「ニュー・ヨーロピアンズ」の入ったアルバムは1980年の「Vienna」で、このアルバムも結構かっこいい。

で、ジョン・フォックスはウルトラヴォックス脱退後に「ヨーロッパ・アフター・ザ・レイン」というシングルを出したのだが(これもまたCM曲)、これがとんでもなくいい曲で、僕はすっかり気に入ってしまった。しかし僕はその曲が入ったジョン・フォックスのソロアルバム「The Garden」を買わずに、ジョン・フォックス在籍時のウルトラヴォックスのアルバム「 Systems of Romance」 の方を買う。何故ウルトラヴォックスの方を買ったのかはよく覚えていないけど、たぶん「ヨーロッパ・アフター・ザ・レイン」はカセットでさんざん聴きすぎたので、ウルトラヴォックス時代のものも聴きたかったのだろう。

そんなわけでどこかの中古盤屋で入手したと思われる(実はどこで買ったか覚えてないのだが)この「Systems of Romance」、1曲目「スロー・モーション」から物凄いベースが気持ちいいけどソリッドなギターもまた気持ちいい。ミッジ・ユーロ時代はさらにギターを前面に出して強調した感じになるけど、ジョン・フォックス時代のこのアルバムではベースの方が強調されてるような感じ。だからなのかどこかダークな印象もある。

Black Sabbath / Live Evil (1982)

ロニー・ジェームス・ディオの頂点はここで、その後急速にオーラが無くなって行った。というふうに僕には見えた。レインボーを脱退したあとオジーの後釜としてブラックサバスに加入し、「ヘブン&ヘル」「悪魔の掟」の2枚をロニー版のブラックサバスとして出し、ハードロックファンにとっては満を持してのライブアルバムだった。当時ハードロックがマイブームだった僕はもちろん発売と同時に買った。そして急速にロニーにもサバスにも興味を失っていった。

この2枚組LPのライブをひさびさに聴いてよく分かったのだが、ブラックサバスとロニーとの相性が悪すぎる。というかオジー時代の曲がロニーと相性が悪すぎるのだ。ロニー時代の2枚(「ヘブン&ヘル」「悪魔の掟」)からの曲はいいのだが、オジー時代の曲の数々がすべてどこか変。A面の最初の「ネオンナイツ」とD面の「パラノイド」を比べればよく分かる。というか、この「パラノイド」は何なのか(笑)。たいていの人がそうだったと思うけど、中2の僕もまたロニーが「パラノイド」を歌うとどんなに凄くなるのかに興味があったし、このレコードが2枚組(当時2枚組レコードは高価なものだった)にもかかわらず躊躇なく買ったのはロニーの歌う「パラノイド」が聞きたかったからだ。大音量でこの「パラノイド」を聴いたときのガッカリ感はかなりのものだった。いや、「パラノイド」だけではない。「N.I.B.」も「ウォー・ピッグス」も「アイアン・マン」も、オジー時代のサバスの名曲たちがみんな何だかおかしい。

とはいえ、ロニー時代の曲、特に最初に出てくる「ネオンナイツ」は最高なのだ。オジー時代の曲のときにはトニー・アイオミ・トリオ with ロニーって感じなのに対し、ロニー時代の曲のときはブラックサバスとして一体化している。オジー時代のサバスの最高の曲が「パラノイド」だとすれば、ロニー時代のサバスの最高の曲は「ネオンナイツ」だろう。このライブバージョンはスタジオ録音よりカッコイイ。で、このアルバムはこの曲のためだけにあるように思える。

このアルバムのすぐ後に出たロニーのソロ・アルバム「ホーリー・ダイバー」がさっぱり面白く無くて、ここでで完全にロニーに見切りをつけ、そのころからハードロックにも興味を失っていったように思う。「ホーリー・ダイバー」はもう40年くらい聴いてないけど、なんだかまだ聴きたくない(笑)。僕にとってのロニー・ジェームス・ディオはレインボーの「ア・ライト・イン・ザ・ブラック」であり「スターゲイザー」であり「キル・ザ・キング」でありブラックサバスの「ネオンナイツ」であり、あの時代のハードロックの最強のボーカリストなのだ。



ABBA / Greatest Hits Vol. 2 (1979)

僕が初めて買った洋楽のレコードがこのアバの「グレイテストヒッツ Vol.2」。小学6年生のときだった。当時テレビCMで流れてたアバの「チキチータ」という曲が気に入り、駅前のレコード屋に行ってみたらこれに入ってたので買ったのだ。当時はちょっとしたアバのブームみたいなのがあって、このアルバムも相当売れていた。アバというのは一体どういう位置付けなのかぜんぜん知らないのだが、今聴くとビージーズとかと同じようなジャンルだったのかなとも思う。

アリス・クーパー、ジョン・ライドン、フランク・ザッパ、リッチー・ブラックモア、エルヴィス・コステロらは、アバが好きなのだそうだけど、みんな意外というか、特にリッチーとか意外な感じがする。そういえばレインボーの「マジック」(1981年「Difficult to Cure(放題:アイサレンダー)」収録)なんかはどことなくアバに通じるものがあるかもしれない。にしてもフランク・ザッパは一体どんな顔してアバ聴いてたんだろう?

小6のクリスマスの時期に、我々男子3人でクライメイトの女子のIさんの家に遊びに行ったことがあった。向こうは女子3人。部屋に上がるといきなりステレオとギターがあって、僕はもうそれしか目に入らず、待っていた女子3人はどうでもよくなってしまった。とにかくステレオを隅から隅までチェックし、どこが何の装置なのかをいろいろと詮索。そしてギターも物珍しかったので手に取ってあれこれと弾いてみたりして遊んでいた。で、そんなことしてたらIさんがレコードを持ってきてかけたのだが、それがアバのレコードだった。僕の持ってた「グレイテストヒッツ Vol.2」とは違ったけれども、「チキチータ」が流れてきたのをよく覚えている。当時うちには大きなステレオが無くてラジカセと簡易レコードプレーヤーだけだったので、このときにステレオから出てきた音は何だか妙にいい音に聴こえたものだ。

そんなわけで、アバというのはそのときの思い出と完全にくっついてしまっている。というか、「ダンシング・クイーン」も「チキチータ」も「ギミーギミーギミー」も、すべてあのときの記憶のBGMだ。

ところで、アバといえば昨年再始動して新作アルバムを出しそうだ。それ以前もミュージカル「マンマミーア」や映画とかでずっと音楽が使われてたり、何かと話題になったりしているけども、音楽に関してはこの「グレイテストヒッツ Vol.2」に入っている曲ばかり使われているように思うのは、僕がアバに関してこれしか知らないからだろう。このアルバムを買ったあとさらに他のアバのアルバムを聴こうと思うことは無く、興味は他のアーチストへと移っていった。

Tangerine Dream / Phaedra (1974)

以前、真夏の一番暑い時期に決まってプログレを聴くという妙な習慣があった(大学生の頃から続いていたのだが10年くらい前にやめてしまった)。プログレの中でもシンセ系で柔らかい音のものが中心。何故その手のものが聴きたくなるのかといえば、音に刺激が無く柔らかいのでちょうどいいのだ。というのも、僕は真夏の最も暑い時期に必ずといっていいくらいに具合が悪くなり、部屋からほとんど出られなくなる程弱ってしまうので、刺激のある音楽など全く聴けなくなってしまうのだ。音には形と色があって、刺激の強いものは体にも心にも負担が大きすぎる。具合の悪いときにはとてもじゃないけど普段聴いてるような刺激の強いものは聴けないのだ。

というわけで、そんなときに最も有効だったのがタンジェリンドリームだった。中でもこのアルバム「フェードラ」あたりは音が丸くて柔らかく色も薄いので病身にはとても心地よく感じられた。真夏限定だが。

このアルバムのように電子音が静かにブワーンとアンビエント的に流れるものといえば、ロック界ではブライアン・イーノの方がよく知られるけど、イーノの最も初期のアンビエント作品フリップ&イーノ「イブニング・スター」は1975年なので、タンジェリンドリームの方が早い。すでに1971年の「アルファ・ケンタウリ」からしてもう電子音のアンビエントだ。もっと早くからやってたロック系アーチストがいるのかどうかは知らない。とはいえ現代音楽界(というか実験音楽)ではもうすでに似たようなものは多くあった(つまらないものだけど)。

ところでタンジェリンドリームも初期はこんなに静かな音楽だったわけでもなくて、特にファーストアルバム 1970年の「エレクトロニック・メディテイション」などはフリージャズのような音楽だ。このファーストはクラウス・シュルツェなどもいた時期で、音楽的熱気も凄い。アシュ・ラ・テンペルなども初期はフリージャズ的だ(こちらにもクラウス・シュルツェが参加している)。

そんなわけで、今年は6月から東京でも35度を超えるほど毎日暑いので久々に「フェードラ」を聴いたのだが、今聴くとどことなくヒーリングミュージック(これ苦手なのだが)みたいな感触もあったりして、そっち系の始祖のうちのひとつだったりするのではないか思ったりもする。とはいえヒーリングミュージックような毒の無い音楽ではなく、タンジェリンドリームはそれなりに毒が強い。

Captain Sensible / Sensible Singles (1984)

ジャケット見ただけで「ハーピ、ハピ、ハピ、ハピートー」という陽気でマヌケな声が脳内をぐるぐる巡るという本当に困ったレコードで、今ではすっかりトラウマ級の思い出したくない盤ナンバーワン候補なのだが、隠せば隠すほどあの不安定な声が追いかけてくる気がするので、ここらへんで大公開して解放されたい。

というわけで、これはダムドのキャプテン・センシブルのシングル集。元はといえば高校生のときにたまたまラジオからエアチェックした「Glad It's All Over」がきっかけ。この南国気分満載でラテンパーカッションが賑やかな曲がすっかり気に入ってしまって、即レコードを入手。当時はキャプテン・センシブルなんてその「Glad It's All Over」だけしか知らなかったけど、これは絶対にレコードを買わなければならないという謎の妄想に突き動かされてレコードを買ったような記憶があるのだが、そういう突発的な衝動によって入手したレコードは結構多かったりする。何故だか分からないけどナニモノかに操られるかのように無心でレコード屋に突入して目当てのレコードだけを必死に探し、無ければ電車を乗り継いでレコード屋をハシゴして意地でも探し出す。この病的な行動には何か名前が付いているような気もするのだが、とりあえず昔の音楽ファンはみな多かれ少なかれそんなビョーキを持っていた。まだ聴いたことのないそのレコードはきっと天下の歴史的名盤に違いない!と結構本気で思い込むのだから始末に悪い。

で、「Glad It's All Over」のためだけに入手したこのレコードだったのだが、1曲目の「Happy Talk」があまりにも素晴らしすぎて、「Happy Talk」ばかり聴くようになってしまった。当時、自分の好きな曲だけを詰め込んだカセットテープを作って、出かけるときにウォークマンで聴いてたのだが、そのカセットにもこのキャプテン・センシブルの「Happy Talk」を入れていた。それくらい気に入っていた。家ではレコード・ジャケットをステレオラックに立て掛けてそれを眺めながら聴いていたものだ(今考えればレコード・ジャケットはアートだった)。で、気に入ったのはいいんだけど、あまり熱心に何度も聴きすぎると、あるとき突然聴きたくなくなるのだ(このあるある現象にも何か名前が付いている気がするのだが)。というわけで「Happy Talk」がすっかり嫌になってしまった。賞味期限が切れたということか。

音楽の場合、賞味期限が切れたとしても何年後かにまた聴きたくなってくるものだが、キャプテン・センシブルは何年経っても一向に聴きたくならない。いやそれどころか、あのキャプテン・センシブルのおかしなボーカルの記憶は増幅されて、さらに妙な声となって思い出されてくるようになる。そういう場合には、もう一度確認のために聴きなおし、このレコードを成仏させてやる必要がある。

そんな経緯で聴きなおしてみたこのアルバム。思ってた以上にどの曲もチープで、そのチープさこそがパンクなんだろうなと分った。当時は普通にニューウェーブだと分類していたが。で、問題の「Happy Talk」なのだが、不安定なボーカルは記憶のまんまだった。頭の中で奇妙さが増幅されていたわけではなく、ほんとにどこか変だった。とはいえ今ではThe Shaggsの「Philosophy of the World」だって普通に聴けてしまうので、これもまた味として聴けてしまうけど、それでもやっぱり頭に残るという意味ではちょっと特別だろう。このなんだかよく分からない声は北杜夫のしゃべりにも似てる気がする。

そういえばこのアルバムはシングル集ということになってるけど、キャプテン・センシブルはその後も沢山アルバムやシングルを出しているようなので、これは初期シングル集という位置づけになるようだ。

Alison Moyet / Alf (1984)

アリソン・モイエのソロ第1弾。このアルバムを買うことになった経緯は、中学か高校のときにデペッシュモードのアルバム(「A Broken Frame」1982年)を気に入ったので、他に似たようなグループが無いかと探してみたらYazooというバンドがそれっぽいらしいということが分かり(というかデペッシュモードから脱退したヴィンス・クラークによって作られたのがYazoo)、ラジオからエアチェックしようとするもYazooなんてグループ名は見当たらず、しかし雑誌でYazooのボーカルの初ソロアルバム発売と紹介されてたのでレコード屋へ走った、というわけなのだ。だもんでアリソン・モイエに関しては何も知らないままレコードを買った。

で、内容はといえば、デペッシュモードのような冷たい感触のシンセ・ニューウェーブという感じとはちょっと違って、ボーカルにより重点を置いたポップアルバムという感じ。当時このボーカルが絶賛されていたけど、僕にはこの声よりもバックの音の感触が気に入って、一時期かなりハマってしまった。今聴くとシンセの音が随分安っぽいが当時はそんな印象は全く無くて(そりゃそうだ)、結構新鮮な音に思えた。

ところで今頃知ったのだが、このアルバムは当時イギリスチャートでナンバーワンを獲得し、シングルもここから4曲出てそれぞれヒットしたらしい。僕はアメリカンチャートには興味あったけど、イギリスのチャートに関してはアダム&ジ・アンツの「スタンド&デリバー」が10週連続1位というニュースがあった頃だけしか興味が無かった。あの時代はテレ朝のベストヒットUSAやFENのアメリカントップ40など、アメリカのチャートばかりチェックしていた(その割にはブリティッシュ・ロックをたくさん聴いてたのはたぶんロッキングオンとサウンドストリートのせいだ)。そんなわけで、アメリカではあまりヒットしなかったアリソン・モイエのソロが本国イギリスやヨーロッパでは大ヒットしてたなんて全く知らなかった。自分だけが知っているマイナーなレコードくらいに思っていたものだ。

Saturday Night Fever O.S.T. (1977)

これはもう小学生のときの思い出の音楽(笑)。当時住んでた街には文鳥堂という小さな本屋があったのだが、あるときその近くにワンダーランドという本屋が出来た。当時の僕の印象ではこのワンダーランドという本屋がなかなかにファンキーで、店員一族(親族経営みたいな感じだった)たちのファッションは完全にアメリカン。70年代という時代なので当時の雑誌「宝島」や「POPEYE」が当時のワンダーランドの雰囲気に近いかもしれない。ちなみに雑誌「宝島」の前身は「ワンダーランド」(もちろん植草甚一監修)という名前だ。

で、このワンダーランドの店内は白壁でインテリアはサーフショップもどき。今思えば、ちょうど当時流行っていたという西海岸風カフェバー(行ったこと無いけど)のようなシティポップ的雰囲気もあったような気もする。男の店員はみんなガタイがよく(小太りともいう)、長髪に口ひげを生やしてるところなどは当時のサーファー風、そしてデニムのオーバーオールがよく似合っていた。星条旗のバンダナの記憶もあるので女性店員が頭に巻いてたのか、あるいはファッションでどこかに身に着けていたのか。2階もワンダーランドなのだがこちらは本屋ではなく、当時はラジコンのレース場になっており(のちに文房具売り場になる)、誰でも自由に見れるようになっていたのでいつも見物人でいっぱいだった。ここで本屋の店員がいつもラジコンを動かしているのだ。スーパーカー・ブームのせいで、とにかくこちらの熱気も凄かった。そんなわけで小学生ながらこの店はお堅い感じの文鳥堂書店とは違うなと直観し、こちらの店で漫画を買うようになる。そして居心地がいいので用も無いのにこの店にやってきては長時間マンガの立ち読みなんかしていた。で、そのときによく流れていたのがこの「サタデー・ナイト・フィーバー」のサントラだった。

ところで映画の「サタデー・ナイト・フィーバー」の方はといえば、さすがに小学生のときには観てなくて、僕が初めて観たのが大学生のときだった。ジョン・トラボルタとニューヨークっていう感想しか無かったが(笑)、おかげでこのサントラにはワンダーランドとニューヨークの印象が付いている。

というわけで、このサントラ。知ってる人はかなり多いだろうけど、とりあえず印象はほぼビージーズ。他のアーチストの曲はすべてオマケ。インストも多いのだが、やはりビージーズを引き立てるための脇役でしかない。それほどビージーズの曲がどれも強烈に残る。とにかく冒頭の「ステイン・アライヴ」「ハウ・ディープ・イズ・ユア・ラヴ」「ナイト・フィーバー」がすべてと言ってもいいくらいにインパクトが凄い。ちなみにビージーズの曲はその3曲の他に「モア・ザン・ア・ウーマン」と「ジャイヴ・トーキン」の2曲。この5曲だけで2枚組LPの印象が全部ビージーズになってしまっている。

REO Speedwagon / Hi Infidelity (1980)

REOスピードワゴンだとかジャーニーだとかスティクスだとかエイジアだとかフォリナーだとかTOTOだとか。そういった80年代の産業ロックというのは当時のロック評論家には散々な言われようだった。僕なんかにはただのポップスだったけど、「混乱こそ我が墓碑銘」だの「to be a rock, not to roll」だのといった言葉を真に受けるようなロック進化論を信奉する方々にとっては、それらの"現状肯定型"のロックが許し難いものだったようだ。今在るものを超える音でなければならないということだろう。あの時代はまだまだロック批評というのも盛んだった。

で、僕はそいうことにあまり興味が無かったせいもあって、産業ロックアレルギーみたいなものはあまり無かったから、「イン・ユア・レター」とか「アージェント」とか「ロザーナ」とかをラジオからエアチェックしてカセットで楽しんでたりしていた。でも学校ではさすがに黙っていたが。ロッキングオンのせいで当時は産業ロックというのはダサイものとされていたし。まあ確かにダサイけど。

しかしそんな僕でも産業ロックのレコードは買ったことが無い。わざわざレコードで聴きこむというほどのものでもなかったし。こういうのは完全に時代のBGMであり、なんとなく日常のバックでいつもそんなのが流れていたのだ。街なかのBGMが洋楽ポップスだった。

そんなわけでこのREOスピードワゴンの「Hi Infidelity」。僕が中学生の頃に流行ったものだ。「イン・ユア・レター」のちょっとレトロでオールディーズな雰囲気がとにかくかっこよかった。当時アルバムは聴いてなかったけど、半分くらいはよく知っている。たぶんそれらすべてシングルカットされてヒットしてたのだ。とはいえ今じゃ誰も顧みないというかすっかり誰からも忘れ去られてて、さすが時代のBGMって感じがします。

Haircut 100 / Pelican West (1982)

ファンカラティーナの中でも最も有名なのはこのヘアカット100だろうか。とにかく「Favourite Shirts (Boy Meets Girl)」と「Love Plus One」が日本でもヒットしてたし、当時の雑誌ではニック・ヘイワードのグラビアなどもよく載ってたし。ブルー・ロンド・ア・ラ・タークやモダン・ロマンスよりも圧倒的にポップな存在だった。で、ポップな存在だったからこそ少し敬遠してたところがあるのだけど、今からみるとやっぱりこれは凄かったのだと分かる。

このアルバムはヘアカット100のファースト。冒頭の「Favourite Shirts (Boy Meets Girl)」はファンカラティーナを代表するような曲で、ファンカラティーナの楽しさのすべてが詰まっている。今聴いたって妙に楽しい気分になる曲だ。僕が昔聴いてた当時は、ブルー・ロンド・ア・ラ・タークの「Coco」や「Me And Mr Sanchez 」のような派手なものが好きだったので、ヘアカット100は少し物足りなく感じていたものだが、改めて聴きなおすと「Favourite Shirts (Boy Meets Girl)」なんてベースラインといいパーカッションの塩梅といい、かなりのスウィング感があって最高。ミーハー的なイメージがすっかり無くなった現在だからこそ素直に聴けるようになったってことか。

ファンカラティーナは80年代にふと出現して、あっという間に消えていったものだが(というかジャジーに変化していって別物になった)、80年代というのは疑似ラテンみたいなものが溢れていた。ロックがラテン化してファンカラィーナになり、トーキングヘッズまでラテンになるし(アルバム「Naked」)、ハートカクテルTV版のBGMだってラテンだったし(松岡直也)、ラウンジリザーズだってNYラテンの要素を取り入れるし(アルバム「No Pain for Cakes」)、ユーロビートだってある意味ラテンだし、スムースジャズの元祖とされるグローヴァー・ワシントンJrの「ワインライト」だってラルフ・マクドナルドのラテンパーカッションが目立つし、中森明菜はラテン曲で日本レコード大賞をとるし、クラッシュまでラテンな「Rock the Casbah」をヒットさせるし、シーラEだのマイアミ・サウンド・マシーンだのその手の人達もいろいろいたし、なんだか分かんないけどボンゴやコンガがチャカポコ・チャカポコと鳴っていたように思う。陽気な時代だったから陽気な音が合っていたのだ。

ところでHaircut 100に話を戻すと、本当は当時僕が好きでよく聴いてたのはこのファーストではなく、セカンドアルバムの「Paint And Paint」の方だった。こちらはニック・ヘイワードが抜けた後で、全くヒットしなかったものなのだが、アコギの音が気持ち良くて、かなりのお気に入りだったのだ。がしかし、今聴くとこれが何故だかさっぱり面白く無い。あれほど熱狂していたのにすっかり色褪せているのだ。自分の感性の変化の問題なのだろうが、こういうのはなんだか少し寂しいものがある。

さて、この「Pelican Wes」というアルバムは昔から人気があるので、最近でもカラー・ヴァイナル盤だとか、オリジナル盤に未収録の曲や別テイクやリミックスなどの入った2枚組CDなども出てるようだ。僕はまだ聴いてないけど、2枚組CDの方は中古盤で安く売ってたらちょっと欲しいかな。

Simple Minds / New Gold Dream(1982年)

1曲目の Someone Somewhere in Summertime が死ぬほど懐かしい。少し前にインターネットラジオからこれが偶然流れてきて、なんかいろいろ思い出した。1984年頃、この曲が凄く気に入ったのでこれが入っているアルバム「New Gold Dream」をレコード屋に買いに行ったけど売って無かったから当時新譜で出てた「Sparkle In The Rain」 (1984年)の方を買ったのだ。そしてそれをすっかり気に入って何度も聴いているうちに、Someone Somewhere in Summertime なんて曲はすっかり忘れてしまったのか、あるいは興味を失ってしまったのか、この曲の入ったアルバム「New Gold Dream」は結局その後買うことは無かった。

で、何十年ぶりかで Someone Somewhere in Summertime に出会ったついでに(数えてみたら37年ぶり。困ったもんだ)、このアルバム「New Gold Dream」を聴いてみたところ、最初の Someone Somewhere in Summertime 以外に2曲くらい聴いたことがあるという位で、あとはほとんど全く知らない。たぶんラジオからのエアチェックで他の曲を集めようとしたもののぜんぜんオンエアされないので諦めたのだろう。かなりいいアルバムなのであの当時買っておけばよかった。ドラムとベースのリズムセクションが素晴らしい。

今ではインターネットで情報収集が簡単にできるけど、1980年代は情報を得るのに結構大変だったのだ。たとえば、気に入った曲があったとして、今ならyoutubeでそのアーチストの他の曲なども簡単に聴くことが出来るけど、ネットの無い時代にはそんなことも出来ない。当時の情報メディアといえばまずラジオとテレビ、そして雑誌だった。リアルタイムにより近いのはラジオの新譜情報番組なので(NHK-FMサウンドストリートとか)、音楽好きの人たちはラジオのFMとAMを片っ端から聞いて音楽情報を入手していた。

また、レコードは高価なのでラジオからのエアチェックも欠かせない。当時のラジオ雑誌には2週間分のラジオ番組表がついていて番組ごとに流れる曲名とアーチスト名が書いてあり、それを隅から隅まで丹念に点検し、どれをエアチェックするのかを決めていく。これはもう日課のようなもので、上手くいけばアルバムまるごとエアチェック出来たりすることもあるのだ。有名な曲とかアルバムはラジオで頻繁に流れるのでエアチェックで何とかなることがある。youtubeで有名アルバムがまるごる聴けるというのと一緒だ。しかしシンプルマインズの曲なんてほとんどオンエアされないわけで、やはりそういうものはレコードを買わなければならない。なるべく安く入手するためにまずは中古盤屋で探し、無かったら輸入盤屋で探し、それでも無かったら普通のレコード屋で探す。この手順は今考えると相当めんどくさいけど、レコード屋巡りをしながら探し歩くのはなかなか楽しいものだった。

というわけで、シンプルマインズの曲 Someone Somewhere in Summertime も当時はラジオからエアチェックしたカセットテープで何度も聴いてたわけだが、何度も聴くにはテープを巻き戻さなければならない。頭出しを間違えないように最初にカセットデッキのカウンタをゼロにしてから聴くので、ちょうどゼロの所までテープを巻き戻すのだ。くるくる回っていくカセットを見ながら、アタマの中にはその音楽がぼんやり流れてたりして、なんだかわくわくしたものだ。めんどうな作業のひとつひとつもまた音楽を聴く楽しさの一部だった。

Ringo Starr / Stop And Smell The Roses (1981)

中学生のときに買ったビートルズの「アビー・ロード」のA面は僕にとって好き嫌いを越えた意味合いを持つもので、ある種の僕の価値観を決めてしまった。そもそもは中1のときに「ツイスト&シャウト」が聴きたくて買ったビートルズの「Rock 'n' Roll Music, Vol.1」という1980年に出たコンピ盤(初期のロックンロール調のナンバーばかり集めたもの)が大好きで、さて次はどれを買うべきかと思ったときにジャケットが有名な「アビー・ロード」をレコード屋で見かけて、直観でこれだと思いそのまま買ってきたというわけなのだ。自分の直観がこれほど当たったことは無い。

その「アビー・ロード」の中で最初に好きになった曲がリンゴ・スターが歌う「オクトパス・ガーデン」だった。元々、というか「アビー・ロード」を買う前からリンゴがボーカルの「イエロー・サブマリン」が好きでリンゴは少し特別だったのだが、「オクトパス・ガーデン」でさらに特別になった(「オクトパス・ガーデン」はリンゴがビートルズ時代に作った数少ない曲のうちのひとつ)。だもんで、当時上映されたリンゴ主演の映画(おかしなおかしな石器人)まで観に行ったりした(同級生の誰かと観に行ったはずなのだが誰と行ったのか全く覚えていない)。そんな中で発売されたのがこの「Stop And Smell The Roses」というアルバムだった。

で、それほどリンゴに入れ込んでいたのに、このアルバムはいまいちピンと来なくて、なんとなくいいなと思う程度。ちょうど同じ時期に出たジョージ・ハリスンのヒット・シングル「All Those Years Ago」があまりにも強烈で、それも影響してたのかもしれない。ちなみにその「All Those Years Ago」(ジョージ作)は最初このリンゴのアルバムに入る予定だったのだが、ジョン・レノンが死んだので予定変更してジョージがそのまま自分で歌ってシングルとして出したものだ。リンゴに歌って欲しかった。

で、ひさしぶりに聴いたこのアルバム。なんとも心が和むいいアルバムだ。ポールとジョージも参加している。気負ったようなところが全くなく、リンゴらしい少しとぼけたような所があって本当に素晴らしい。全然売れなかったそうだけど、それもまたリンゴ・スターらしくていい。

Roxy Music / Stranded(1973)

ロックのドラマーの中で最も好きなアーチストはロキシーミュージックのポール・トンプソンだ。あの単純明快でドカドカとブッ叩くスタイルは爽快そのもの。そこらへんのハードロックのドラマーより何百倍も気持ちいい。ロキシーは天才ブライアン・フェリーの叙情性とポール・トンプソンの野性的リズムで出来ている。

ロキシーミュージックで一番よく聴いたのは「Siren」(1975年)で、そのつぎが「Country Life」(1974年)。で、3番目によく聴いたのがこの「Stranded」(1973年)だった。僕が当時読んでたディスクガイドには、このアルバムは「ヨーロッパ哀歌」が入ってることで有名とかそんなこと書いてあった気がするけど、よくも悪くも「ヨーロッパ哀歌」の異様さがこのアルバムの印象を決定付けている。

というわけで、ロキシーの上記3枚(「Siren」「Country Life」「Stranded」)は僕の高校時代の通低音のようなものであり、聴き返すとあの時代のあれやこれやが思い出されてきて懐かしいのだが、その懐かしさの中にもちょっとした感傷があったりして、そんな感傷を未だに抱えていることに少し嫌気も差す。そういった意味で、ロキシーは今でも危ない。

で、このアルバム「Stranded」の中で最も感傷的な曲ってば「ヨーロッパ哀歌」なのだが、昔聴いていたときのように感情移入できるわけがなく、途中のフランス語が出てきたところで笑いそうになる。こういうのは英語圏の人達にはどう映るのだろうか。だもんでこの曲は案外あっさり聴き流すことができる。それに反し、いちばんドキドキするのは「セレナーデ」で、平穏な気分ではいられなくなる。なにやら映画を観たあとに頭が別世界からなかなか戻れないような感じになる。やはりロキシーは危険なのだ。

この機会にロキシーミュージックを1stから順に聴いていってみたのだが、やはり僕にとっては75年の「Siren」までがロキシーで、それ以降の後期ロキシー(「Manifesto」「Fresh + Blood 」「Avalon」)はどうもロキシーな感じがしない。「Avalon」(1982年)なんかはリアルタイムで流行ってたものだが、聴いても何も感じないし何も思わない。ポール・トンプソンのいなくなった後期ロキシーは何やら別のグループだ。

IGGY POP / TV Eye Live (1977)

このアルバムが出た1977年には「Idiot」「Lust For Life」の2枚のスタジオアルバムも出ており、この3枚すべてにデヴィッド・ボウイが参加している。というか共同制作みたいな感じになっている。で、このライブアルバムでは2曲目「Funtime」(名曲!)などでデヴィッド・ボウイの声もはっきりと聞き取れる。

前にも同じこと書いたけど、10代の後半にイギー・ポップにどハマリして、自作のイギー名曲名演集のカセットテープなんかも作って、それ聴きながら電車に乗って気分を落ち着かせてたりしていたのだ。当時、特別好きだったのは「Row Power」(1973年)と「Idiot」。「Row Power」はテンションがマックスに高いのに対し「Idiot」はテンションが限りなく低くて振り幅が大きいが、イギーの声の凶暴さはどちらも一緒だったりする。このひたすら危ない声で当時ずいぶん救われた。

このライブ盤はデヴィッド・ボウイとのツアーの中から選ばれた曲の寄せ集め。ミックスや音のラフさ加減は「Row Power」のミックスの滅茶苦茶さ加減に近く、やはりイギーにはこういったラフな音作りが似合う。「Idiot」からは2曲(FuntimeとNightclubbing)、「Lust For Life」からも2曲(SixteenとLust for Life)、残りはStooges時代の曲。

3曲目「Sixteen」での重心の低いドラムとベースがとにかく凄い。ミディアムからややスローのリズムで重々しく地を這うようなリズムは、イギーのベルリン時代の音の特徴でもある。ドラムはハント・セールスで、ベースはトニー・セールス。この二人(兄弟)はイギーの「Lust For Life」にも参加しているが、それ以前にはトッド・ラングレンのアルバム「Runt」(1970年)「Runt The Ballad of Todd Rundgren」(1971年)「Something/Anything?」(1972年)に参加しており、ドラムのハント・セールスは他にもボブ・ウェルチのParis「Big Towne, 2061」(1976年)などにも参加している。またこの二人は80年代にはデヴィッド・ボウイの作ったグループTin Machineにも参加していた。

 

David Bowie / Lodger (1979)

最初に「怒りをこめてふり返れ」を聴いたのはテレビで見たミュージックビデオで、とにかく曲はカッコイイし映像は凄いしで、本当に驚いた。中学生のときだった。ビデオ(ベータマックス)で何度も繰り返し見たものだ。次に驚いたのはこのアルバム「Lodger」を買ったとき。そのときにはもう「怒りをこめてふり返れ」をさんざん聴いてたのだが、パイオニアのステレオからクリアな音質で流れてくる「怒りをこめてふり返れ」はその情報量が全然違ってて、ドラム(デニス・デイヴィス)がかっこよすぎて本当に驚いた。特にあのシンバル。ドラム奏者は一体どういう手足をしているのかと本気で不思議に思ったものだ。というか今でも不思議でしょうがない。何なのだあの凄すぎるシンバルは。

普段ジャズばかり聴く僕が音の良さの目安としていつも思っているのはシンバルの音。シンバルの最高音の響きがどれだけクリアに出るかが、そのオーディオ(あるいはレコード、CD、等)の音の良し悪しの基準。もちろんベースこそが重要ってのもわかるが、シンバルも案外差が出るのだ。繊細なシンバル音を出すアート・ブレイキーのドラムなどは分かりやすい。

というわけで「怒りをこめてふり返れ」のシンバルなのだが、当時うちにあったパイオニアのPROJECTというステレオ・コンポーネントからクリアに出てきた音は、テレビから出てくる音とは明らかに違い、カンカンいうシンバル音の凄さにぶっ飛んだのでした。今聴いて即座に頭に思い浮かぶのはエルヴィン・ジョーンズのポリリズミックなドラムとマックス・ローチの華麗なシンバルワーク(エルヴィンとローチは正反対のタイプのドラマーだが)。このふたりの超人的なプレイに似たものを「怒りをこめてふり返れ」でのデニス・デイヴィスのドラムに感じる。

ところでこのデニス・デイヴィスなのだが、実は僕が本格的に洋楽を聴き始めた頃(少6~中1)に大好きで死ぬほど何度も聴いていたスティーヴィー・ワンダーのアルバム「Hotter than July」(1980年)でもドラムを叩いている。また、大好きなイギー・ポップのアルバム「The Idiot」(1977年)でもドラムを叩いている。何だかんだでずいぶんお世話になったドラマーだったのだ。

で、このアルバム「Lodger」、一般的にはデヴィッド・ボウイの中でも地味な存在だと思うけど、僕にとってもほぼ「怒りをこめてふり返れ」のためのアルバムなので、数あるボウイ作品の中でも地味な位置づけ。とはいえベルリン3部作のラストだし、それなりに内容は凄い。B面ラストの「Red Money」はイギー・ポップの「The Idiot」の1曲目「Sister Midnight」そのままというか、「Sister Midnight」のトラックをバックに別の曲を歌ってみた的なものになってるのが興味深い。ちなみに「Sister Midnight」はイギーとボウイとカルロス・アロマーの共作。

Paul Mccartney / Mccartney II (1980)


ポール・マッカートニーの「カミング・アップ」は僕が洋楽にハマっていくきっかけとなった曲。その前にもアバのLPレコードとか持ってたけど(笑)、ほんとに凄いなと思ったのは「カミング・アップ」だった。「カミング・アップ」は小学6年の冬休みの頃にAMラジオの音楽番組で知ったのだが、このときエアチェックしたカセットテープは今でも残っていて、ここにはポール・マッカートニーの「カミング・アップ」のほかにルパート・ホルムズの「ヒム」なども入っている。1980年の前半にエアチェックしたこれらの音源が僕の洋楽開眼の始まり。なので、「カミング・アップ」は自分にとって少し特別な存在の曲だったりする。とはいえ、アルバムの方を聴いたのはそれから随分あとのことなのだが。

そんなわけでこの「マッカートニーII」。冒頭の「カミング・アップ」以外はかなり異様な内容。シンセや打ち込みを多用したものが多く、それまでのウイングスには無かったような実験臭がある。世界的な大ヒットとなった次作「タッグ・オブ・ウォー」(1982)やその次の「パイプス・オブ・ピース」(1983)のような作り込んだ王道ポップとは正反対の内容だけど、この「マッカートニーII」はポール・マッカートニーの素描を見ているかのような感じ。才能がほとばしってる感も凄い。

ちなみに、このアルバムのCD化の際に79年のウイングスのシングル「グッドナイト・トゥナイト」がボーナストラックとして追加された。この曲は中学生のときに気に入ってたもので、最初に聴いたのはNHKの「ヤング・ミュージック・ショー」の総集編で流れたプロモビデオ。当時ビデオに録画した。ウイングスの曲の中では最も好きなのだが、シングルで発売したのに何故かウイングスのオリジナルアルバムには収録されていなかったもの。どういうわけでポール・マッカートニーのソロアルバムの方に収録されることになったのかは知らないが、「カミング・アップ」のシングル盤だって当時はポール・マッカートニー&ウイングスの名義だったのだ。何か事情があったのだろう(そういえば「カミング・アップ」発売直前にポールが来日したのに大麻を持ってたせいで逮捕され、コンサート中止となったことがあった。当時大ニュースになった)。

Judas Priest / Unleashed in the East (1979)

ロブ・ハルフォードがクリスマス・アルバムを出すというニュースが何だか可笑しくてしょうがなかったのでネットで調べてみたら10年前にもロブ・ハルフォードはクリスマス・アルバムを出しているそうで、一体何を考えてるんでしょうか?(笑)ちなみにそのクリスマス・アルバムの新譜のタイトル(邦題)は「メタル・クリスマス」だそうで・・・。メタルにもクリスマスが来るんだな。

それはそうと、僕にとってのジューダスプリーストは中学生のときに聴いてた何枚かのアルバムがすべてて、そのうちの一枚がこの「イン・ジ・イースト」。当時カセットテープでさんざん聴いたもの。とはいえ当時はジューダスよりもレインボー、スコーピオンズ、ユーライアヒープといった叙情的なメロディのものの方を好んで聴いていたので、ジューダスのように「泣きのメロディなんぞ一切やらん!」みたいな男っぽいハードロックはそれほど好みでも無かったのだ(モーターヘッドなどもこの部類に入る)。

とはいえ、10代の暴力衝動を解消してくれる機能としてはジューダスは結構優秀で(ハードロックの存在意義は若者のイライラ発散にある)、たとえばこのアルバム1曲目の「エキサイター」でのバスドラの連打などは対症療法としてとても有効なものだった。分かりやすく言えば、ハンセンのラリアットを見てスカッとするみたいなことと同じ効能があった。

「エキサイター」という曲は、スタジオ録音(1978年「ステンドクラス」収録)ではボーカルが凄いのだが演奏の音質が柔らかい。それに対し、このライブ録音ではボーカルは普通なのだが演奏の音質がよりハードだ。どちらもいいけど、音がハードだとより暴力的であり、気持ちがいい。そしてこの「エキサイター」こそがこのアルバムのハイライトであり、その後は余韻のようなものだ。

で、今このアルバムを通して聴いてみた感想は、なんだか爽やかな音楽だなあということ(笑)。若年時の暴力衝動も消え、ハードロックを必要としなくなった現在、自分にとってはどの曲も疾走感がある爽やかなロックとなってしまった。対症療法的音楽から鑑賞音楽へと出世したようなものだ。スピーカーにかじり付くようにしてこの音楽を聴いてた頃には考えられないようなことだけど、今でもこの音楽を楽しめるということはやっぱり凄いことなんじゃなかろうか。

Aztec Camera / High Land, Hard Rain (1983)

数年前、新宿西口の三井ビル地下にあるスタバに入ったらBGMでアズテックカメラの「Walk Out to Winter」が流れてきた。ものすごい久しぶりに聴いたせいかとても懐かしい気分になったのだが、アズテックカメラのことを思い出すのに結構時間がかかった。最初に頭に浮かんだのはセカンドアルバムのジャケットの絵。ファーストアルバムのジャケほうはなかなか思い出せなかったのだが、たぶん頭の中でフレンズアゲインのファーストアルバムのジャケとごちゃごちゃになっていたからなのだ。ちなみに「Walk Out to Winter」は僕が高校生の頃にちょっとだけヒットした曲で、僕は結構この曲が好きで何度も聴いていた。たぶんサウンドストリートで最初に聴いたんじゃないかな。

で、その「Walk Out to Winter」はこのファーストアルバム『High Land, Hard Rain』に入っている。セカンドアルバムもファーストと同じくらいいいんだけど(中でも1曲目の「Still on Fire」が最高)、ファーストアルバムはいい曲が多いし、このグループの刹那的な一瞬の輝きを捉えているように思う。

この手の80年代イギリスのアコースティック・ポップのグループは結構いくつもあって、僕が好きだったのはフレンズ・アゲインだったんだけど、人気があったのはアズテックカメラ。あと、ヘアカット100もそれらのうちのひとつに入るように思うけどファンカ・ラティーナのイメージも強かった。あと同じような括りのエブリシング・バット・ザ・ガールは渋谷陽一のサウンドストリートで流れて知ったんだけど、それを紹介したのは外人(たぶんスティーブ・ハリス)だったのを覚えている。エブリシング・バット・ザ・ガールという言葉の意味を説明していた。で、それらのグループに共通するのは漫画的とも思える青春感で、漫画でいえばラブコメに相当するような感じだろうか。

TOT TAYLOR / My Blue Period (1987)

トット・テイラーには特に何の思い入れも無いし、レコードだって大学生のときにこれ1枚買ったきりで(ウォークマンに入れてこれ聴きながら大学に行ってたりした)、他のアルバムを探ることなどもなかった。でも何故かいつまで経ってもこの中の何曲かがずっと頭の中に残っていて、ふとした拍子にその部分部分を思い出したりする。中でも3曲目の「It's good for you」なんかは強靭なベースとともに特に印象的で、結構頻繁に思い出すので懐かしさというものが無いくらい。とはいえこの曲がアルバムを代表するというわけでもない。で、当時は何度聴いてもアルバム全体の印象が掴み切れなくて、結局自分の中で未消化のまま有耶無耶にしてしまった。

最近もう一度聴き直してみたのだが、印象はやはり曖昧。なんだか妙なアルバムなのだ。このアルバムがのちにオシャレ音楽として再評価されたりしてたことは何となく知っていたものの、何故これがオシャレなのかはいまいちよく分からず(ちょっとジャジーだからオシャレ扱いされたのだろうか?)。だいたい昔はこんなのはオシャレでも何でも無かった。ただのマイナーなイギリスのアーチストのマイナーな新譜くらいのものだったように思う。とはいえ当時の「オシャレ」の基準はどんなものだったのかはよく知らなかったし今でもよく知らない。

で、この変なアルバムなのだが、ジョージィ・フェイムなどのモッズの文脈と思えば思えなくもないのだが、それと対極のシナトラ的と言えば言えなくもない。で、チェット・ベイカーっぽいといえばそんな気もするし、ジョー・ジャクソンのようでもありマイケル・フランクスのようでもありアル・クーパーのようでもあるという、何とも幅の広い印象。トット・テイラーがその才能のわりにはいつまでもマイナーだったのはこの掴みどころのない印象のせいだったのではなかろうか。

そんなわけで、このアルバムの中では1曲目の「The Wrong Idea」がいちばんキャッチーだし、このアルバムを代表するようなもののように思える。なんだかシナトラやメル・トーメが歌いそうなゴージャスな雰囲気もあるけど、これはこれでカッコイイ。

The Lounge Lizards / Lounge Lizards (EG / 1981)

John Lurie(as) Arto Lindsay(g) Evan Lurie(p, key) Steve Piccolo(b) Anton Fier(ds)

1980年前後のニューヨークのNO WAVEというパンクロックを中心としたアンダーグランドのアートシーンの混沌の中から出てきたのがジョン・ルーリー率いるラウンジリザーズ。このファーストアルバムは70年代末から80年代初頭にかけてのラウンジリザーズの総決算のようなもので、その後のラウンジリザーズにはないNO WAVEっぽさやロックの要素が濃い。

ジェームス・チャンスやDNAやマーズといった当時の代表的なNO WAVE系パンクの連中とはやや毛色が違うが、その要因はベースのスティーヴ・ピッコロ。当時のメンバーの中で唯一ジャズイディオムに精通していた。このスティーヴ・ピッコロのジャズ由来のベースがNO WAVEのロックからジャズへの橋渡しのようになっている。ジョン・ルーリーはジャズのイディオムを使わずにジャズっぽい演奏をしていたせいか、自身でこれをフェイクジャズだと説明していた。フェイクなジャズということなので、ロックなのかジャズなのか微妙なところなのだが、ロックばかり聴く人にはジャズに聴こえ、ジャズばかり聴く人にはロックに聴こえるのではないか。

そんなわけでこのアルバム。どう聴いても主役はギターのアート・リンゼイで、このアート・リンゼイの圧倒的なギターがあるからこそ人気盤になっているのではないか。DNAでのアート・リンゼイそのままに、ノー・チューニングでギターを引っかきむしる。このノイズ音こそ当時のNO WAVEの通低音で、良くも悪くもこの音が引力となってラウンジリザーズをNO WAVEの枠内に留まらせる。

ところで、このアルバムの中で「ハーレムノクターン」は特に有名だけど、これはどう見ても取って付けたようにしか思えない。むしろ無かった方がアルバムとしてよかったのではないか。ただ、そのぶん大衆性が減ることになるけど。

僕がラウンジリザーズを知ったのは大学1年生のときで、当時学校で仲の良かった友人(トム・ウェイツとシオン好き)が教えてくれた。ラウンジリザーズのアルバムは当時「NO PAIN FOR CAKES」が出たばかりで、そちらはジャズなので分かりやすかったのだが、このファーストアルバムの方はロック臭がするのでいまいちよく分からなかったものだ。が、音楽経由ではなくアート経由でNO WAVE系を知るようになり(きっかけはジャン=ミッシェル・バスキア)、それでようやく合点がいくようになった。

音楽経由で見ればNYのポスト・パンクロック(実験音楽含む)という系列とジャズという系列の両方が交差する所に起立しているので、どっちつかずな感じがどうにも分かりづらかったのだ。アート経由で見れば、音楽や映像や美術や絵画や写真やファッションなどいろんなこと(要するにアート全般)を、それまでの前提や伝統など参照せずにそのときのパッションだけでやりこなすという混沌とした状況の中で、たとえば画家のバスキアが音楽(Grayというバンドをヴィンセント・ギャロらとやっていた。これはCD化もされている)や俳優などもやってたり、ジム・ジャームッシュが映像だけでなくバンドもやってたり(Del-Byzanteensのこと。ジョン・ルーリーもいたことがある)、ポスト・パンクの連中が自分たちはミュージシャンじゃないと宣言してたりと、いろんなジャンルを横断して活動するアーチストが多くいた。ちなみに技術などはどうでもよく、アート・リンゼイはギターの弦のチューニングすら知らなかったとか(No WAVEの理念からすれば、あえて知りたくなかったのだろうが)。特に象徴的なのはジョン・ルーリーの「サックスをやり始めたきっかけは、路上でサックスを拾ったからだ」という言葉。これが本当か嘘かは分からないが、NO WAVEの姿勢をよく表しているし、当時のラウンジリザーズの音楽のスタンスがよく分かる(その後ラウンジリザーズはメンバーチェンジを重ねてジャズへとシフトしていく)。

さて、このアルバムがロックなのかジャズなのかはどうでもいいんだけど、ロックとしては当時のニューウェイヴ時代にジャズとノイズの風味があって少し異様で面白いし、ジャズとしてもあの時代の保守的な状況(モダンではちょうどウィントンらの新伝承派時代。フリー系ではロフトジャズの末期)の中ではアンダーグランドの匂いがして相当カッコイイものだ。マイルスがああなってしまった時代、テオ・マセロが目をつけるのもよく分かる。もし、他のNO WAVEのようにブライアン・イーノがプロデュースしてたらどうだったのだろうかと、なんとなく思ったりもする。

Matt Bianco / Whose Side Are You on (1984)

マットビアンコのファースト・アルバム。今のマットビアンコはすっかりスムースジャズになってしまったけど、初期マットビアンコはまだファンカラティーナを少し引きずったようなロックで、僕は大学生のときにファーストとセカンドを同時に買って、とにかく聴きまくりました(特にセカンド・アルバムの「Matt Bianco」はラウンジリザーズ「No Pain For Cakes」などとともに僕の大学1年のときの通低音のひとつ)。

リーダーのマーク・ライリーはマットビアンコの前にブルー・ロンド・ア・ラ・タークにいたんだけど、このブルー・ロンド・ア・ラ・タークは王道のファンカラティーナで、とにかくラテン・パーカッションやらラテンなホーンやらで、ひたすらテンションが高くてとにかく最高だった。が、ブルー・ロンド・ア・ラ・タークを抜けてマットビアンコを作ったら、かつてのあの楽しげなラテン風味はすっかり影を潜めてしまって、どことなく洗練されたAOR風に。ラテンはラテンでも暑いサルサからクールなボッサへみたいな変化で、ちょうどこの時代の潮流に乗った感じ。バーシア(ボーカル)とピーター・ホワイト(ギター)が参加してる分だけクールになったようにも思えるけど、マーク・ライリーもブルー・ロンドで暴れすぎて疲れたようにも思える。(ちなみにブルー・ロンド・ア・ラ・タークはマーク・ライリー脱退後、ブルー・ロンドと名前を改めてアルバムを出しているが、こちらはまだサルサ風味が残っていた)

で、このファーストアルバムはセカンドアルバムの「Matt Bianco」(1986)とともにマットビアンコの頂点で、どの曲もブルー・ロンド時代から続く少しクセのある独特のメロディが素晴らしい。スムースジャズとなった今はこの当時の個性があまり残っていないのが寂しいところだ。ボーカルはマーク・ライリーとバーシアが担当しているけど、バーシアはこのアルバムだけで脱退してしまった。また、本作はセカンドアルバムのような突き抜けた躍動感や派手さは無いが、クールで怪しい雰囲気に彩られ、当時のニューウェーブの影響などが見え隠れするのも面白い。


(文:信田照幸)


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